西原亀三 (にしはらかめぞう)
1873〜1954
【概説】
大正期に活動した日本の実業家。寺内正毅首相の私設秘書(密使)として中国に渡り、北京政府の段祺瑞政権との間で巨額の資金援助交渉をまとめた人物。この一連の政治的援助は「西原借款」と呼ばれ、大正期における対中外交の展開に大きな足跡を残した。
寺内正毅の密使と対中外交の転換
1915年、第2次大隈重信内閣が提示した「対華21ヵ条要求」は、中国国内で激しい反日世論を巻き起こし、欧米諸国からも強い警戒を招いた。1916年に発足した寺内正毅内閣は、この高圧的な外交方針を転換し、経済的な援助を通じて中国政府を懐柔し、日本の権益を確保しようとした。この「西原工作」を実質的に担ったのが、寺内と個人的に親しかった実業家の西原亀三である。西原は正式な外交ルートを通さず、首相の「密使」として北京に赴き、中華民国の政権を握る段祺瑞(安徽派軍閥)の側近たちと直接交渉を進めた。
「西原借款」の締結とその破綻
西原は1917年から1918年にかけて、朝鮮銀行、台湾銀行、東洋拓殖などの政府系金融機関からなる銀行団を組織し、段祺瑞政権に対して総額1億4500万円に及ぶ無担保借款(西原借款)を供与した。この資金は建前上、通信や鉄道の整備といった産業振興のためとされたが、実際には段祺瑞が国内の対立勢力を武力で制圧するための軍費として費消された。日本はこれにより山東省の旧ドイツ権益の継承などを確約させたが、段祺瑞政権が政争に敗れて失脚したことで借款は回収不能となり、日本の財政に甚大な損失を与えた。また、軍閥への内政干渉的な資金援助は中国国民の激しい怒りを買い、のちの五四運動など、中国における反日愛国運動をさらに激化させる契機となった。