ロマノフ王朝 (ろまのふおうちょう)
1613年〜1917年
【概説】
17世紀初頭から300年以上にわたりロシア帝国を支配した絶対主義王朝。第一次世界大戦中の1917年に勃発したロシア革命(二月革命)により、最後の皇帝ニコライ2世が退位したことで滅亡に追い込まれた。
東アジア進出と日露の衝突
ロマノフ王朝は1613年のミハイル・ロマノフの即位に始まり、ピョートル1世やエカチェリーナ2世のもとで領土を拡大し、ヨーロッパの大国としての地位を確立した。19世紀後半以降、シベリア鉄道の敷設や不凍港の獲得を目指す「南下政策」を進め、極東(東アジア)への進出を本格化させた。この動きは、日清戦争後に朝鮮半島や満洲への影響力を強めようとしていた明治期の日本との間に激しい対立を生み、1904年の日露戦争へと発展した。この戦争におけるロシアの敗北は、ロマノフ王朝の軍事的威信を失墜させ、国内で第一次ロシア革命が勃発する契機となった。
王朝の滅亡と大正日本への巨大な衝撃
第一次世界大戦に参戦したロシアであったが、長期化する戦争による経済の疲弊と食糧不足から国民の不満が爆発し、1917年にロシア革命(二月革命)が勃発した。皇帝ニコライ2世が退位したことでロマノフ王朝は崩壊し、その後の十月革命によってレーニン率いるボリシェヴィキが政権を握り、世界初の社会主義政権が誕生した。この絶対王政の崩壊と社会主義国家の誕生は、大正期の日本に計り知れない政治的・社会的影響を与えた。日本政府は共産主義の拡大を阻止すべくシベリア出兵を断行したが、これが国内の米価暴騰を招き、近代日本最大の大衆暴動である米騒動を引き起こす原因となった。同時に、王朝の終焉は日本国内の社会主義運動や労働運動を刺激し、大正デモクラシーの進展にも決定的な影響を及ぼした。