ウィルソン

「十四カ条の平和原則」を発表し、パリ講和会議を主導して国際連盟の設立を提唱したアメリカ大統領は誰か?
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★★★

ウィルソン

1856年〜1924年

【概説】
第一次世界大戦末期に「十四カ条の平和原則」を提唱し、戦後の国際平和機構の設立を主導した第28代アメリカ合衆国大統領。彼が掲げた「民族自決」の理念は東アジアの民族運動に多大な影響を与えたほか、パリ講和会議において日本の人種差別撤廃案を退けたことでも知られる。

「十四カ条の平和原則」の提唱と国際協調主義

ウィルソン(トーマス・ウッドロウ・ウィルソン)は、1913年にアメリカ合衆国第28代大統領に就任した。第一次世界大戦が勃発すると当初は中立を保っていたが、1917年にドイツの無制限潜水艦作戦を機に連合国側として参戦した。翌1918年1月には、戦後の新たな国際平和秩序の構想として「十四カ条の平和原則」を発表した。この中には、秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小などに加え、「無併合・無賠償」「民族自決」の原則や、史上初の国際平和機構である国際連盟の設立が含まれていた。彼の理想主義的な外交方針は、大正期の日本社会にも「ウィルソン主義」として波及し、吉野作造らの民本主義や大正デモクラシーの潮流を後押しする国際的な背景となった。

シベリア出兵と日米関係の摩擦

第一次世界大戦中の1917年、ロシア革命が勃発して社会主義政権が誕生すると、ウィルソン政権は革命の波及を恐れて干渉戦争を企図した。1918年、チェコスロバキア軍団の救出を名目として、ウィルソンは日本に対して共同でのシベリア出兵を提案した。日本(寺内正毅内閣)はこれに応じたが、アメリカが約8千人の兵力を派遣したのに対し、日本は協定を大幅に上回る約7万3千人もの大軍を送り込み、さらに北満州やバイカル湖以東まで長期間にわたり占領を続けた。この日本の単独行動と領土的野心に対し、ウィルソン政権は強い不信感を抱き、その後の満州・中国をめぐる日米の対立構造が顕在化していく契機となった。

パリ講和会議における日本との対立

1919年に開かれたパリ講和会議において、ウィルソンは会議を主導する「四巨頭」の一人として多大な影響力を行使した。日本は五大国の一角として西園寺公望や牧野伸顕らを全権代表として派遣し、国際連盟規約に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提案した。この日本の提案は出席国の過半数の賛成を得たものの、国内に黒人差別問題を抱え、白豪主義をとるオーストラリアをはじめとする英連邦の強い反対を受けた議長のウィルソンは、「このような重要案件は全会一致でなければならない」と異例の裁定を下し、法案を否決した。この出来事は、日本国内の知識人や民衆に欧米への強い反発と失望を抱かせる一因となった。

また、日本が主張した旧ドイツ権益である中国・山東省の権益継承問題について、ウィルソンは中国の領土保全の観点から難色を示した。しかし、日本が国際連盟への不参加を仄めかして強硬に主張したため、連盟の成立を最優先とするウィルソンが最終的に妥協し、日本の権益継承が認められた。

「民族自決」が東アジアに与えた衝撃

ウィルソンが「十四カ条の平和原則」で掲げた「民族自決」の理念は、本来は敗戦国(ドイツやオーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国など)の領土分割に適用されるものであり、戦勝国の植民地には適用されないという白人中心主義的な限界を持っていた。しかし、この理念はアジアの被支配民族に独立への大きな希望を与えた。1919年3月には、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で三・一独立運動が勃発し、同年5月には、パリ講和会議で日本の山東省権益継承が承認されたことに反発した中国の学生や民衆が北京で五・四運動を起こした。ウィルソンの理想主義は、結果的に日本帝国主義に抗う東アジアの大規模な民族運動を誘発する起爆剤となったのである。

国際連盟の不参加とワシントン体制への移行

ウィルソンの最大の悲願であった国際連盟は1920年に正式に発足し、日本は常任理事国となった。しかし、アメリカ国内では伝統的な孤立主義(モンロー主義)への回帰を求める共和党が優勢となり、上院の反対によってアメリカ自身がヴェルサイユ条約の批准を拒否し、国際連盟への不参加を決定するという事態を招いた。ウィルソンは条約批准を訴える過酷な遊説中に病に倒れ、失意のうちに任期を終えた。その後、東アジアおよび太平洋地域の国際秩序は、後任のハーディング大統領が主導した1921年のワシントン会議によって再構築され、いわゆるワシントン体制へと引き継がれていくこととなる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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