日本農民組合(日農)

1922年、全国の小作争議を指導するため、賀川豊彦や杉山元治郎らが中心となって結成した日本初の全国規模の農民組合は何か?
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日本農民組合(日農)

1922年

【概説】
1922(大正11)年、賀川豊彦や杉山元治郎らによって結成された、日本初の全国的な小作人の組合組織。大正デモクラシー期の社会運動の高揚を背景に、小作料の減免や耕作権の確立を掲げて全国の小作争議を主導した。

結成の時代背景と小作争議の激化

第一次世界大戦期の好景気(大戦ブーム)が終焉を迎えると、日本経済は戦後恐慌に見舞われ、農村部も深刻な慢性的不況(農業恐慌)に陥った。当時の日本農業は、一部の地主が多数の小作人から高額な現物小作料を徴収する寄生地主制が支配的であり、米価の下落と物価の高騰は小作人の生活を極度に圧迫した。

こうした状況下、1917年のロシア革命や1918年の米騒動、さらには大正デモクラシーを背景とした都市部での労働運動の高揚(友愛会など)に刺激され、農民たちも自己の権利に目覚め始めた。その結果、地主に対して小作料の減免を要求する小作争議が全国各地で頻発し、組織的な闘争へと発展していく土壌が形成されていた。

日本農民組合の結成と綱領

小作争議が激化するなか、キリスト教人道主義の立場から労働運動や貧民救済に取り組んでいた賀川豊彦や、農村問題に尽力していた牧師の杉山元治郎らが中心となり、1922(大正11)年4月に神戸で日本農民組合(略称:日農)を結成した。これが日本で初めての全国規模の農民組織である。

創立大会では杉山元治郎を組合長とし、綱領において「農民相互の親睦と修養」「生活の合理化」を掲げつつ、実質的な目標として小作料の減免や耕作権の確立を打ち出した。結成当初は温和な協調主義的色彩を残していたものの、地主側の強硬な姿勢や警察の弾圧に直面するなかで、次第に階級闘争的な性格を強めていくこととなる。

運動の拡大と無産政党への関与

日農の結成によって、それまで地域ごとに孤立して行われていた小作争議は全国的なネットワークに組み込まれた。日農の指導員が各地の争議を支援したことで、1920年代半ばには小作争議の発生件数が急増し、争議の規模も村落単位から郡・県単位の大規模なものへと拡大した。

さらに、1925(大正14)年に普通選挙法が制定されると、日農は労働組合とともに議会政治への進出も積極的に目指した。1926年には初の全国的無産政党である労働農民党(労農党)の結成において中心的な役割を果たし、杉山元治郎が初代委員長に就任するなど、農民の政治的権利の獲得に向けた運動を展開した。

組織の分裂と歴史的意義

しかし、組織が拡大し政治色を強めるにつれて、内部での思想的対立が避けられなくなった。1920年代後半には、無産政党の主導権や運動方針を巡って、社会民主主義的な穏健派(右派)とマルクス主義的な急進派(左派)の対立が激化。1926年に右派の平野力三らが脱退して全日本農民組合を結成したのを皮切りに、日農は離合集散や分裂を繰り返し、やがて1928年の三・一五事件など国家権力による弾圧を受けて弱体化していった。

その後、戦時体制下で農民運動は解散を余儀なくされるが、日本農民組合が全国の貧しい小作人を組織し、絶対的とされた寄生地主制に対して初めて組織的な反旗を翻した歴史的意義は極めて大きい。彼らが命がけで掲げた「自作農の創設」や「小作人の権利保護」という悲願は、第二次世界大戦後のGHQの指令に基づく農地改革によって、ついに現実のものとなるのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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