杉山元治郎 (すぎやまもとじろう)
【概説】
大正から昭和時代にかけて活躍したキリスト教の牧師、農民運動家、政治家。賀川豊彦らとともに日本初の全国的な農民組織である日本農民組合(日農)を結成し、初代組合長として小作人の地位向上と小作争議の組織化に尽力した。
キリスト教人道主義と農民運動へのアプローチ
杉山元治郎は、東北学院や大阪伝道館で学び、キリスト教の牧師として活動を始めた人物である。当時の日本社会は、明治期以来の産業革命を経て資本主義が急速に発展する一方、農村部では「寄生地主制」のもとで高額な小作料と不安定な耕作権に苦しむ小作農が困窮を極めていた。杉山はキリスト教の人道主義的な観点から農村の悲惨な現実に直面し、精神的な救済だけでなく、社会構造そのものを改革する必要性を痛感した。1918年には大阪で「農民平民学校」を開設し、農民の教育と組織化に乗り出すこととなる。
日本農民組合(日農)の結成と小作争議の組織化
大正デモクラシーの気運が高まり、各地で小作争議が多発していた1922年(大正11年)、杉山は同じくキリスト教社会運動家であった賀川豊彦らとともに、神戸で日本農民組合(日農)を設立し、その初代組合長に就任した。それまでの小作争議は、各村落における自然発生的かつ局地的な暴動に留まることが多かったが、日農の結成によって全国規模の組織的な社会運動へと脱皮した。杉山らは「耕作権の確立」や「小作料の3割引き下げ」などを明確なスローガンに掲げ、地主側に対して論理的かつ粘り強い組織交渉を展開した。これは同時代の労働運動とも深く連動し、日本の大正期における重要な社会変革運動の一翼を担った。
無産政党運動への参画と戦後への影響
小作争議が激化するなかで、運動を合法的に前進させるため、杉山は次第に政治活動へと軸足を移していった。1925年の普通選挙法制定を機に、社会主義や民主主義を掲げる無産政党運動に参画し、労働農民党や社会民衆党などの結成に関与した。1932年には衆議院議員に初当選し、国会の場から農村の窮状と制度改革を訴え続けた。戦後もいち早く日本社会党の結成に参加し、右派の重鎮として衆議院副議長を務めるなど、日本の社会運動・政党政治において長く活躍した。彼の戦前における日農の活動は、戦後のGHQによる農地改革の土壌を精神的・実質的に耕したという点において、歴史的に極めて大きな意義を持っている。