黎明会 (れいめいかい)
【概説】
大正デモクラシー期を代表する知識人らによって結成された言論・思想啓蒙団体。第一次世界大戦後の急速な社会変動を背景に、民本主義の普及や学問・言論の自由の獲得を目指して精力的な活動を展開した。
結成の背景と言論の自由の危機
1918(大正7)年は、第一次世界大戦の終結や米騒動の発生、さらには初の本格的政党内閣である原敬内閣の成立など、日本の政治・社会が激変した年であった。民主主義(デモクラシー)の機運が急速に高まる一方で、国家主義や保守派による言論統制・威嚇行動も激化していた。
こうした中、東大教授で民本主義を提唱していた吉野作造が、右翼団体「浪人会」から激しい脅迫を受ける事件が発生した。この危機に対し、学問・思想の自由を守り、健全なデモクラシー思想を民衆に広く浸透させるための「知識人の共同戦線」として、1918年12月に黎明会が結成された。
進歩的知識人の結集と啓蒙活動
黎明会の中心人物は、提唱者である東京帝国大学教授の吉野作造と、慶応義塾大学教授で社会政策学者の福田徳三であった。さらに、大山郁夫、森本厚吉、長谷川如是閑、佐々木惣一、新渡戸稲造など、官私立大学の進歩的な学者や有力な言論人が宗派や学閥を超えて多数参加した。
彼らは、デモクラシー思想や平民主義を世論に定着させるため、毎月のように東京や地方都市で公開の学術講演会を開催した。また、講演内容を冊子やパンフレットにして広く配布し、これまで政治的発言権を持たなかった一般民衆への啓蒙活動を組織的に展開した。これらの活動は、大正期における知識人と民衆の知的架け橋として機能した。
大正デモクラシーへの功績と発展的解消
黎明会は、普通選挙の実現や学問の自由の確立といった具体的な要求を掲げ、大正デモクラシー期の世論形成において多大な影響力を発揮した。しかし、1919年後半から1920年にかけて、労働運動や社会主義運動が本格化し、デモクラシー運動の主軸が知識人による「啓蒙」から、労働者や学生ら自身による「直接行動・実践」へと移行していった。
これにより、進歩的知識人の緩やかな学術同盟であった黎明会は初期の役割を終え、1920(大正9)年に解散した。活動期間は2年弱と短かったが、その精神は、のちの新人会などの学生運動や労働運動、さらには大正期の社会運動全体へと受け継がれていくこととなった。