直木賞 (なおきしょう)
【概説】
1935(昭和10)年に作家・実業家の菊池寛が、前年に急逝した友人である大衆作家・直木三十五を記念して創設した文学賞。芥川龍之介を記念した芥川賞と同時に設立され、大衆文学(娯楽小説)の分野において新進・中堅作家による優秀な作品を対象に年2回選考・授与される。近代日本における出版メディアの近代化と、大衆文化の隆盛を象徴する極めて重要な文学制度である。
直木三十五の夭折と菊池寛による創設
大正期から昭和初期にかけて、日本の文壇では芸術性を重視する純文学が主流であったが、次第に新聞や雑誌の普及に伴い、一般大衆向けの娯楽小説(大衆文学)が大きな市場を形成するようになった。その急先鋒として活躍したのが、『南国太平記』などの歴史・時代小説で人気を博した直木三十五であった。しかし、直木は1934(昭和9)年に43歳という若さで病没する。
直木の親友であり、雑誌『文藝春秋』の創刊者として出版界に君臨していた菊池寛は、直木の才能を惜しみ、その業績を記念する文学賞の創設を企画した。これが「直木三十五賞(直木賞)」である。菊池は同時に、大正文学を代表する純文学作家であり、やはり早世した芥川龍之介を記念する「芥川龍之介賞(芥川賞)」も創設。1935(昭和10)年に第1回選考が行われ、直木賞の第1回受賞者には川口松太郎が選ばれた。
「純文学」と「大衆文学」の二分法と芥川賞との対比
直木賞の歴史的意義の一つは、日本の文学界における「純文学」と「大衆文学」のジャンル分け(純大二元論)を制度的に定着させた点にある。純文学の新人を対象とする芥川賞に対し、直木賞は歴史小説、推理小説、SF、ユーモア小説など、娯楽性と読者への訴求力を兼ね備えた「大衆文学」の中堅・新進作家を対象とした。この対比構造は、文壇における大衆文学の地位を大きく向上させる契機となった。
また、直木賞は単なる文学的顕彰にとどまらず、文藝春秋社という民間出版社が主導する極めて商業的なプロモーション・システムでもあった。受賞作が掲載された雑誌(直木賞は『オール讀物』、芥川賞は『文藝春秋』)は売り上げを飛躍的に伸ばし、日本独自の「売れる文学」の流通システムを構築することに成功した。
近代メディア社会の到来と大衆文化の成熟
直木賞が創設された1930年代(昭和初期)は、1冊1円で古典や現代文学を提供する「円本(えんぽん)ブーム」を経て、日本において読者層の国民的大衆化が完成した時期にあたる。大正デモクラシー期に高まった都市の中流階級や労働者層の教育水準は、活字文化に対する膨大な需要を生み出していた。直木賞は、こうした知識の大衆化という社会構造の変化を背景に誕生したものである。
戦時下の一時的な中断を経て、戦後1949(昭和24)年に復活して以降も、直木賞は時代の変化に伴う大衆の「好みの変化」を敏感に反映し続け、昭和・平成・令和に至る日本の活字文化およびサブカルチャーの発展を支える大黒柱であり続けている。