プロレタリア文学
【概説】
大正末期から昭和初期にかけて展開された、労働者や農民など虐げられた階級の過酷な現実を描き、社会主義思想に基づいて社会変革を訴えた文学運動。大正デモクラシー期の社会運動の高揚やロシア革命の影響を背景に興り、一時は日本の言論・文壇界を席巻した。
大正デモクラシーとプロレタリア文学の誕生
第一次世界大戦後の日本社会は、急激な工業化の歪みとして労働問題や小作争議が深刻化していた。こうした中、1917年のロシア革命の成功や、国内における大正デモクラシーの高揚を背景に、社会主義思想が急速に普及していく。こうした社会情勢と連動する形で、従来の既成文壇(自然主義や白樺派など)が個人の内面や有閑階級の生活描写に終始していることを批判し、労働階級(プロレタリアート)の現実を描く文学運動が誕生した。
その先駆けとなったのが、1921年(大正10年)に小牧近江らによって創刊された雑誌『種蒔く人』である。同誌は人道主義的反戦論や労働運動との連携を掲げ、運動の基礎を築いた。その後、関東大震災を経て1924年に創刊された『文芸戦線』へと運動は引き継がれ、葉山嘉樹の『海に生くる人々』などの優れた創作活動へと結実していった。
運動の組織化と代表的作家・作品
昭和期に入ると、文学運動はさらに組織化・政治色を強めていく。1928年(昭和3年)には、日本プロレタリア芸術連盟などの諸団体が合同して全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成され、機関誌『戦旗』が創刊された。この時期に運動は全盛期を迎え、多くの労働者や学生の支持を獲得した。
この時代を代表する作家が小林多喜二と徳永直である。小林多喜二は、オホーツク海の蟹工船内における過酷な労働実態と労働者の覚醒を描いた『蟹工船』や、共産党員に対する警察の拷問を告発した『一九二八年三月十五日』を発表した。また、徳永直は共同印刷の労働争議を題材にした『太陽のない街』を著し、実際の争議を克明に描き出すことで高い評価を得た。
国家による弾圧と運動の終焉
プロレタリア文学運動は、単なる芸術運動にとどまらず、非合法組織であった日本共産党への接近・連携を強めたため、治安維持を名目とする政府・警察当局から激しい弾圧を受けることとなった。1928年の三・一五事件や翌年の四・一六事件によって、多くの作家や活動家が検挙された。
さらに1930年代に入ると、1931年に結成された日本プロレタリア文化連盟(コップ)に対する弾圧が激化し、1933年には運動の精神的支柱であった小林多喜二が築地警察署において拷問死(虐殺)を遂げた。この衝撃と、指導的立場にあった思想家たちの「転向(社会主義思想を放棄すること)」の相次ぐ表明により、運動は急速に衰退した。1934年の日本プロレタリア作家同盟の解散をもって、この文学運動は事実上終焉を迎え、日本文学界は暗い戦争の時代へと突入していくこととなった。