雑誌『種蒔く人』

1921年に小牧近江らが創刊し、反戦思想などを掲げて日本のプロレタリア文学運動の出発点となった雑誌は何か?
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★★★

【参考リンク】
種蒔く人(Wikipedia)

雑誌『種蒔く人』 (ざっしたねまくひと)

1921年〜1923年

【概説】
1921年(大正10年)に小牧近江や金子洋文らが秋田県で創刊した同人雑誌。労働者階級の解放と反戦平和を掲げ、日本におけるプロレタリア文学運動の先駆けとなった。

創刊の背景とクラルテ運動の影響

第一次世界大戦の惨禍と1917年のロシア革命は、世界中の知識人や労働者に多大な思想的影響を与えた。日本においても大正デモクラシーの潮流の中で、労働運動や社会主義思想がかつてない高まりを見せていた。そのような時代背景の中、フランスに留学していた小牧近江は、フランスの作家アンリ・バルビュスが提唱した反戦・平和と無産階級の解放を目指す国際的な知識人連帯運動「クラルテ運動」に深く共鳴した。

帰国した小牧は、同郷の金子洋文や今野賢三らとともに、クラルテ運動の精神を日本で実践するため、1921年(大正10年)2月に秋田県土崎港町(現在の秋田市)で『種蒔く人』を創刊した。これが俗に「秋田版」と呼ばれる最初のものである。誌名は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの有名な絵画「種まく人」に由来し、新しい時代の思想の種を蒔くという決意が込められていた。

東京版の創刊とプロレタリア文学運動の出発

秋田での創刊後、運動の拠点を中央に移すため、同年10月に『種蒔く人』は東京で再創刊された(東京版)。東京版には小牧や金子に加え、青野季吉、平澤計七、中西伊之助などの作家や評論家、労働運動家が次々と集い、より社会性を帯びた総合的な文芸・思想雑誌へと発展した。

彼らは「行動と芸術の結合」を掲げ、単なる芸術至上主義を排して、文学が労働者の階級闘争や社会変革に奉仕すべきであると主張した。作品には、資本主義社会における労働者の悲惨な現実や、それに抗う姿を描いたものが多く掲載された。これにより『種蒔く人』は、日本におけるプロレタリア文学運動の明確な出発点として歴史的に位置づけられている。

関東大震災による終刊と後継雑誌『文芸戦線』への系譜

順調に発行を続けていた『種蒔く人』であったが、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって致命的な打撃を受けた。震災直後の混乱の中で発布された戒厳令下において、社会主義者や無政府主義者が警察や軍部によって弾圧される事件(亀戸事件や甘粕事件など)が相次ぎ、主要同人であった労働運動家の平澤計七も亀戸事件で虐殺された。こうした過酷な弾圧や資金難もあり、『種蒔く人』は第20号と号外「震災記念号」の発行をもって事実上の廃刊を余儀なくされた。

しかし、『種蒔く人』が蒔いたプロレタリア文学の種が途絶えることはなかった。翌1924年(大正13年)、青野季吉や金子洋文、平林初之輔ら旧同人が中心となり、後継雑誌である『文芸戦線』が創刊された。『文芸戦線』の創刊を契機に日本プロレタリア文芸連盟が結成され、昭和初期にかけてプロレタリア文学運動は一つの黄金期を迎えることとなる。『種蒔く人』は、短命ながらも日本の近代文学史および社会運動史に決定的な転換点をもたらした記念碑的史料である。

日本近現代文学史への招待

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プロレタリア文学セレクション (985) (平凡社ライブラリー 985)

かつての熱狂と抵抗の記録を現代に蘇らせ、格差や労働の根源を鋭く照射するプロレタリア文学の傑作選。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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