全日本無産者芸術連盟(ナップ) (ぜんにほんむさんしゃげいじゅつれんめい)
【概説】
昭和初期の1928年に結成された、プロレタリア芸術運動の全国的な統一組織。エスペラント語の名称(Nippon Artista Proleta Federacio)の頭文字から「ナップ(NAPF)」と称され、機関誌『戦旗』を発行して社会主義思想に基づく文学や芸術の普及を図った。小林多喜二や徳永直らの作家を擁し、労働者や農民の現実を描くことで左翼文化運動の黄金期を築いた。
結成の背景と大正デモクラシーからの思想的系譜
大正デモクラシーの進展に伴い、1920年代の日本にはロシア革命の影響を受けたマルクス主義思想が急速に流入した。文学・芸術界においても、従来の特権階級的な芸術を否定し、労働者や農民の解放を目指す「プロレタリア芸術運動」が台頭した。しかし、初期の運動は理論的対立などから分裂を繰り返していた。
このような状況の中、1928(昭和3)年に田中義一内閣が断行した「三・一五事件」による治安維持法を用いた左翼陣営への大弾圧を契機として、芸術家たちの間で統一組織結成への気運が一気に高まった。同年の3月下旬、日本プロレタリア芸術連盟と前衛芸術家同盟が合同する形で「全日本無産者芸術連盟(ナップ)」が結成され、分裂していた戦線は一元化されることとなった。
機関誌『戦旗』の創刊とプロレタリア文学の開花
ナップは結成直後の1928年5月に機関誌『戦旗』を創刊した。この雑誌は、一部の知識人層だけでなく、一般の工場労働者や農民に直接読まれることを意識して編集され、最盛期には数万部の発行部数を誇る異例のベストセラーとなった。この『戦旗』を舞台に、多くの若き才能が社会の現実を告発する作品を発表した。
その代表格が小林多喜二であり、彼は1928年の弾圧を背景とした『一九二八年三月十五日』や、北洋の漁船における過酷な労働搾取を描いた『蟹工船』を発表して一躍時代の寵児となった。また、徳永直は『太陽のない街』において、自身が経験した共同印刷の労働争議を生き生きと描き出し、労働者階級の連帯と闘争の姿を広く世に知らしめた。
多角的な文化運動の展開と国家権力による弾圧
ナップの活動は文学にとどまらず、演劇、美術、映画、音楽、写真など、芸術のあらゆるジャンルに及んだ。それぞれの分野に専門の同盟(日本プロレタリア劇場同盟、日本プロレタリア美術家同盟など)が組織され、大衆の日常に根ざした文化闘争を展開した。これらは、従来の商業主義的な大衆文化に対する「オルタナティブな文化運動」として強い影響力を持った。
しかし、天皇制の打倒や社会主義変革を志向するその性格から、国家権力による弾圧は日増しに激化していった。1931(昭和6)年、ナップはさらなる運動の広がりを目指して「日本プロレタリア文化連盟(コップ / KOPF)」へと発展的に解消する。しかし、満州事変の勃発とともに軍国主義化が進むなか、1933年には小林多喜二が特高警察の拷問により虐殺され、組織は壊滅へと追い込まれていった。ナップが主導した一連の運動は、昭和初期の過酷な時代状況下で、知識人と労働者が結びついた未曾有の精神運動として、日本近代史に深い足跡を残している。