雑誌『文芸戦線』 (ぶんげいせんせん)
【概説】
大正後期から昭和初期にかけて刊行された、日本を代表するプロレタリア文学雑誌。関東大震災によって廃刊を余儀なくされた『種蒔く人』の後継誌であり、無産階級の解放を掲げる社会主義文学の発展において、数多くの作家や作品を世に送り出す中心的な舞台となった。
『種蒔く人』の継承と『文芸戦線』の創刊
1923年(大正12年)の関東大震災は、日本の社会運動や文化運動に甚大な打撃を与え、当時、黎明期にあった社会主義的な文学雑誌『種蒔く人』も廃刊へと追い込まれた。しかし、大正デモクラシーの進展や労働運動の高揚を背景に、無産階級(プロレタリアート)の声を反映した文学メディアの復活を求める声は強かった。
翌1924年(大正13年)6月、『種蒔く人』の同人であった小牧近江、金子洋文、今野賢三らに加え、批評家の青野季吉や作家の葉山嘉樹らが結集し、後継誌として『文芸戦線』が創刊された。同誌は、被支配階級の立場から資本主義社会の矛盾を告発し、文学を通じて社会変革を促すという目的を明確に掲げ、急速に支持を広げていった。
プロレタリア文学の黄金期と代表作の誕生
『文芸戦線』は、日本文学史におけるプロレタリア文学の黄金期を築く土台となった。同誌を舞台に、過酷な労働環境に置かれた人々の実態をリアルに描く傑作が次々と発表された。なかでも、葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』や『海に生くる人々』、黒島伝治の『武装せる市街』などは、文学的にも高い評価を受け、プロレタリア文学の代表作として今日まで語り継がれている。
また、青野季吉が提唱した「目的意識論」など、プロレタリア文学のあり方をめぐる活発な理論闘争(文芸批評)の場としても機能し、単なる政治スローガンにとどまらない、芸術としての社会主義文学の確立を模索し続けた。
運動の分裂と「戦旗」派との対立、そして終刊
昭和期に入ると、プロレタリア文学運動は組織化が進む一方で、政治的方針をめぐる対立から分裂の道を歩むことになる。1928年(昭和3年)に日本共産党の影響を強く受けた全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成され、機関誌『戦旗』が創刊されると、運動の主導権争いが激化した。
『文芸戦線』側は、政治を優位に置く『戦旗』派の過激な方針(前衛党への従属)に反発し、芸術の自律性や大衆への浸透を重視する労農芸術家連盟(労芸)の牙城となった。この分裂は「文戦・ナップ対立」として知られ、互いに激しい論戦を展開した。しかし、1930年代に入ると国家による治安維持法を用いた左翼弾圧が激化し、さらに運動の内部対立による疲弊も重なり、1932年(昭和7年)7月号をもって『文芸戦線』は廃刊を余儀なくされた。