日本資本主義発達史講座

1932年に野呂栄太郎らが刊行し、日本の資本主義が天皇制などの半封建的な制度を残していることを分析・主張して「講座派」と呼ばれるグループを形成した論文集は何か?
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重要度
★★

日本資本主義発達史講座

1932〜1933年

【概説】
昭和初期に岩波書店から刊行された、マルクス主義経済学および歴史学の共同研究論文集。野呂栄太郎らが編集の中心となり、明治維新以降の日本社会における資本主義の発展段階を体系的に分析した。本書の執筆陣はのちに「講座派」と呼ばれ、日本の近代化の特質をめぐる思想・学術論争に決定的な影響を与えた。

刊行の歴史的背景と「日本資本主義論争」の勃発

大正デモクラシー期の高揚とその後の社会運動の過激化、そして1929年の世界恐慌から昭和恐慌へと至る激動の時代、日本の社会主義運動は変革の理論的支柱を求めていた。特にコミンテルン(国際共産主義運動)が1932年に発表した「32年テーゼ」は、日本社会を「絶対主義的天皇制」と「半封建的土地所有」が支配する国家と規定し、まずは天皇制を打倒するブルジョア民主主義革命が必要であるとした。この方針に学問的裏付けを与えるべく、野呂栄太郎、羽原又吉、平野義太郎、山田盛太郎らが中心となって企画・刊行されたのが『日本資本主義発達史講座』である。

本書の刊行は、当時の知識人層に凄まじい衝撃を与え、日本の近代化および資本主義の性質をどのように捉えるかという、いわゆる「日本資本主義論争」を本格化させる契機となった。

「講座派」と「労農派」の対立構造

『日本資本主義発達史講座』に執筆したグループは、後に「講座派」と呼ばれるようになった。彼らは、日本の資本主義は近代的な産業資本を確立しているものの、その基盤には極めて前近代的な「半封建的寄生地主制」が残存しており、これらが絶対主義的な天皇制と結びついていると分析した。したがって、目指すべき社会変革は、まず天皇制と地主制を打破する「ブルジョア民主主義革命」を経て、その後に社会主義革命へ進むという「二段階革命論」を唱えた。

これに対し、雑誌『労農』に結集した山川均や向坂逸三らの「労農派」は、明治維新によって日本は本質的にブルジョア社会に変革されており、農村の貧困は封建遺制ではなく資本主義自体の矛盾であると主張した。彼らは日本社会をすでに高度な資本主義段階にあると見なし、即座に社会主義革命を目指すべきだとする「一段階革命論」を展開して講座派と激しく対立した。

日本社会科学への遺産と弾圧による終焉

『日本資本主義発達史講座』の刊行とその後の論争は、それまで単なるヨーロッパ学説の紹介に留まりがちであった日本の社会科学を、自国の歴史的現実を分析する独自の学問へと飛躍させる役割を果たした。その精緻な文献批判と実証的な分析手法は、戦後の日本史学(特に近世史・近代史研究)における地主制度研究や近代化論の基礎を形作ることになる。

しかし、軍国主義が台頭する中で国家による思想弾圧は激化し、中心人物の野呂栄太郎は検挙されて1934年に治安維持法下の獄中で病死した。さらに1936年には、講座派の学術組織やシンパが一斉に検挙される「コム・アカデミー事件」が発生し、論争は強制的に終息させられることとなった。それでもなお、彼らが提示した「日本の近代化の歪み」という問題意識は、戦後の農地改革や戦後民主主義の思想形成において、重要な伏流として受け継がれていくこととなった。

日本資本主義発達史 下 (岩波文庫 青 136-2)

明治以降の日本経済が辿った変容を重層的な視点で解き明かし、近代資本主義の構造的本質を鋭く抉り出す学問的到達点。

日本資本主義論争史 (こぶし文庫)

戦前の論客たちが日本の社会構成をいかに定義したか、激動の論争過程を俯瞰し現代の分析にも通じる思考の礎を築く名著。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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