西園寺公望

伊藤博文の跡を継いで立憲政友会第2代総裁となり、桂太郎と妥協しつつ交互に政権を担当して桂園時代を築いた政治家は誰か?
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★★★

西園寺公望 (さいおんじきんもち)

1849〜1940

【概説】
明治から昭和初期にかけて活躍した公家出身の政治家。伊藤博文の後継者として立憲政友会第2代総裁となり、藩閥の桂太郎と交互に内閣を組織して政党政治を推進した。のちに最後の「元老」として、昭和10年代まで日本の政治史に重きをなした。

公家出身の自由主義者

西園寺公望は、清華家という名門公家の出身である。幕末の王政復古を経て、若くして戊辰戦争で山陰道鎮撫総督などを務め、新政府軍の指揮を執った。明治維新後の1871年(明治4年)から約10年間フランスに留学し、パリ大学などで法律や政治学を学んだ。この留学時代にクレマンソーら現地の政治家や、中江兆民ら同世代の日本人留学生と交流したことで、西園寺はフランス流の自由主義や急進的な民主主義思想を身につけることとなった。

帰国後の1881年(明治14年)、中江兆民らとともに『東洋自由新聞』を創刊し、自ら社長に就任して自由民権運動に理解を示した。しかし、名門公家が反政府的な傾向を持つ新聞の社長となったことは政府の警戒を呼び、明治天皇の勅命によって社長辞任を余儀なくされた。その後は政府に出仕し、伊藤博文のヨーロッパ憲法調査に随行するなど、伊藤の厚い信任を得て政府の要職を歴任していく。

政友会総裁への就任と「桂園時代」

西園寺の政治的地位が確固たるものとなったのは、伊藤博文の腹心として活動し始めてからである。1900年(明治33年)に伊藤が立憲政友会を創立すると、西園寺もこれに参加した。1903年(明治36年)に伊藤が枢密院議長に転じるにあたり、西園寺はその後継者として立憲政友会第2代総裁に就任した。

日露戦争後の1906年(明治39年)、西園寺は初めて組閣の大命を受け、第1次西園寺内閣を成立させた。以後1913年(大正2年)までの間、長州藩閥を背景とする桂太郎と、衆議院の第一党である政友会を率いる西園寺公望が、妥協と協調を繰り返しながら交互に政権を担当した。この時期は両者の名をとって「桂園時代」と呼ばれ、日本の近代政治史において政局が比較的安定した時代となった。第1次内閣においては、鉄道国有法の成立や、穏健な社会主義政党である日本社会党の結成を合法として認可するなど、西園寺らしいリベラルな政治姿勢を見せている。

二個師団増設問題と内閣総辞職

1911年(明治44年)に成立した第2次西園寺内閣は、辛亥革命の勃発など激動する東アジア情勢への対応を迫られた。この時、陸軍は朝鮮半島の警備などを理由に二個師団増設を強硬に要求した。しかし、日露戦争後の深刻な財政難による行財政整理を公約として掲げていた西園寺は、この要求を真っ向から拒否した。

これに対し、陸軍大臣の上原勇作は単独で天皇に辞表を提出した。陸軍は軍部大臣現役武官制を盾にとって後任の陸軍大臣を推挙しなかったため、結果として組閣が不可能となり、1912年(大正元年)12月、西園寺内閣は総辞職に追い込まれた。この強引な軍部の振る舞いは国民の強い反発を招き、「閥族打破・憲政擁護」を掲げる第一次護憲運動(大正政変)を引き起こす決定的な要因となった。

最後の元老と「憲政の常道」

大正政変後、西園寺は政友会総裁を辞して第一線を退いたが、大正天皇の即位に伴って元老に列せられた。1919年(大正8年)には、パリ講和会議における日本全権団の首席として渡欧し、国際連盟の設立などにも関与している。

山県有朋や松方正義といった明治建国の元勲たちが次々と世を去るなか、大正時代後期から昭和初期にかけて、西園寺は「最後の元老」として、後継首相を天皇に推薦する(首相推奏)という極めて重要な役割を実質的に一人で担うことになった。西園寺はイギリス型の二大政党制に基づく立憲君主制を理想とし、衆議院の多数党の党首を首相に推挙する「憲政の常道」を定着させることに尽力した。

しかし昭和に入ると、政党政治の腐敗に対する批判や昭和恐慌を背景に、軍部の台頭が顕著となった。五・一五事件(1932年)で犬養毅首相が暗殺されると、西園寺は激化する軍部の反発をかわすため政党内閣の継続を断念せざるを得なくなり、海軍穏健派の斎藤実を推奏した。さらに二・二六事件(1936年)では自身も暗殺の標的とされ(難を逃れる)、急進する軍部の暴走を抑えきれないまま、1940年(昭和15年)に90歳でその生涯を閉じた。西園寺の死は、明治以来の元老制度の完全な終焉を意味するとともに、日本が軍部主導の体制へと突き進む防波堤が失われたことを象徴する出来事であった。

西園寺公望: 最後の元老 (岩波新書 新赤版 829)

激動の明治・大正・昭和を駆け抜け、政党政治の確立に命を懸けた最後の元老・西園寺公望の波乱の生涯を追う決定版。

西園寺公望: 政党政治の元老 (日本史リブレット人)

軍部の台頭に抗い、理想の立憲政治を追い求めた元老・西園寺公望の苦闘と政治的信念を浮き彫りにする評伝の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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