職工義友会

1897年、高野房太郎や片山潜らを中心に結成された、労働組合の結成と労働者の地位向上を呼びかける啓蒙団体は何か?
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重要度
★★

【参考リンク】
高野房太郎(Wikipedia)

職工義友会 (しょっこうぎゆうかい)

1897年

【概説】
1897年に高野房太郎らが中心となって結成された、日本最初の近代的な労働組合結成を呼びかける啓蒙団体。日清戦争後の産業革命の進展に伴う過酷な労働環境を背景に、アメリカの先駆的な労働運動に触発されて組織された。この団体の結成は、日本における本格的な労働運動の幕開けを告げる象徴的な出来事となった。

結成の歴史的背景と高野房太郎らの役割

日清戦争(1894〜95年)の勝利を契機として、日本国内では軽工業から重工業にわたる産業革命が急速に進展した。しかし、その陰では「資本主義の発展」に伴う低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境といった深刻な労働問題が発生していた。当時は労働者を保護する法制度が皆無であり、労働者による自発的な抵抗も散発的かつ非組織的なものに留まっていた。

こうした状況下、1890年代にアメリカへ渡り、アメリカ労働総同盟(AFL)の運動やサミュエル・ゴンパーズの思想に直に触れて帰国した高野房太郎や城常太郎、沢田半之助らが、1897(明治30)年4月に東京で「職工義友会」を結成した。彼らは、労働者が過酷な現実に対抗するためには、単なる一時的な暴動ではなく、恒常的かつ組織的な「労働組合」を結成して労使交渉を行う必要があると考え、その啓蒙と宣伝を開始したのである。

労働組合期成会への発展と近代的労働組合の誕生

職工義友会自体は少人数による準備会・啓蒙団体の域を出なかったが、その呼びかけは当時の労働者に大きな影響を与え、同年7月には、より発展的な組織である労働組合期成会の結成へとつながった。この期成会には、のちに社会主義運動の先駆者となる片山潜らも合流し、日本における労働運動の指導的センターとしての役割を担うこととなる。

労働組合期成会の指導と財政支援のもと、1897年12月には日本最初の本格的な産業別・職業別労働組合である鉄工組合が結成された。さらに、日本鉄道会社の「矯正会」や印刷工による「活版工組合」などが相次いで組織され、日本における初期労働運動は一時の黄金期を迎えることとなった。職工義友会は、これら一連の近代的労働組合運動の文字通りの「生みの親」であったといえる。

治安警察法による弾圧と運動の終焉

職工義友会を源流とする初期の労働組合運動は、資本家との全面対決を叫ぶ過激なものではなく、労働者の自己修養や相互扶助(共済活動)を重んじる比較的穏健なものであった。しかし、労働運動の急速な高まりを恐れた明治政府(第2次山県有朋内閣)は、1900(明治33)年に治安警察法を制定した。

特に同法第17条は、労働組合の組織化やストライキ(同盟罷業)の計画・扇動を犯罪として厳しく処罰するものであり、労働運動に対する決定的な打撃となった。この弾圧に加え、運動内部での資金難や指導方針をめぐる対立なども重なり、職工義友会から始まった初期の労働組合運動は1900年代初頭に事実上の崩壊へと追い込まれることとなった。しかし、彼らが播いた種は、大正期の友愛会やその後の労働運動へと脈々と受け継がれていくこととなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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