弥生時代の区分(前期・中期・後期)

重要度
★★

【参考リンク】
弥生時代(Wikipedia)

弥生時代の区分(前期・中期・後期)

前10世紀頃〜後3世紀後半

【概説】
弥生時代を、土器型式の変遷や社会組織・生産技術の発達段階に基づいて三段階に分けた歴史区分。稲作の受容から技術革新、そして階級社会の形成と「クニ」の誕生に至る、日本列島における農耕社会の成立プロセスの理解において不可欠な指標である。

土器様式と社会変化を基準とする時代区分

日本史学および考古学において、弥生時代は一般に前期・中期・後期の3つの時期に区分される。この区分は、1930年代に山内清男らによって確立された縄文時代の編年手法を受け継ぎ、各地から出土する弥生土器の型式変化(編年)を主軸として構築された。これに、層位学的な観察や随伴する金属器・石器などの生産道具、住居や集落の構造変化を組み合わせることで、単なる土器の流行の変遷にとどまらず、社会構造そのものの発展段階を示す区分として機能している。

なお、近年のAMS炭素14年代測定法などを用いた科学的アプローチの進展により、弥生時代の開始時期は従来の「紀元前5世紀頃」から「紀元前10世紀頃(前950年頃)」へと大幅に遡る説(新年代説)が有力視されるようになった。これに伴い、各期の絶対年代については今なお議論が続いているが、前期・中期・後期という相対的な発展段階の枠組み自体は、現在もその有効性を失っていない。

各期の特徴と社会のダイナミズム

【前期】(前10世紀頃〜前4世紀頃)「水稲耕作の受容と定着」
朝鮮半島から伝わった水稲耕作が、九州北部から本州の西日本一帯へと急速に普及した時期である。初期の遺跡としては福岡県の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡が著名である。この時期の土器は、九州北部の「夜臼式土器」や、それに続く「遠賀川式土器」が代表的であり、これらは稲作技術の東進とともに西日本全体へと広がった。社会組織はまだ比較的平等であり、共同体を中心とした共同労働による初期農耕社会が形成された。

【中期】(前4世紀頃〜後1世紀頃)「技術革新と地域社会の階層化」
稲作が東日本へと拡大し(青森県の砂沢遺跡や垂柳遺跡など)、本州最北端まで達した時期である。石器に代わり、鉄製農具や青銅器(銅剣・銅矛・銅戈・銅鐸など)といった金属器が普及し、生産力が飛躍的に向上した。これにより富の蓄積が生じ、集落間の格差や対立が激化した。各地で深い濠や土塁を巡らせた環濠集落(佐賀県の吉野ヶ里遺跡や大阪府の池上曽根遺跡など)が出現し、軍事的な衝突や、首長を頂点とする階層社会(「クニ」の形成)が本格化した。

【後期】(後1世紀頃〜後3世紀後半)「政治的統合の進展と国家への歩み」
鉄器の国産化が本格化し、実用的な工具・農具の多くが鉄器へと置き換わった。集落の統合が進み、数々の「クニ」が連合してより広域な政治勢力を形成した。中国の歴史書に『倭国大乱』と記された激しい抗争を経て、邪馬台国の女王・卑弥呼に代表されるような、強力な政治権力を有する首長(王)が登場した時期である。瀬戸内や近畿地方を中心に、前方後円墳の祖形となる楯築墳丘墓などの大型墳丘墓が築かれ、次の古墳時代へと社会秩序が引き継がれていった。

時代区分の持つ歴史的意義

弥生時代の三分法は、日本列島における「獲得経済(狩猟・採集)」から「生産経済(農耕)」への移行が、単なる一過性の変化ではなく、段階的なグラデーションを伴って進行したことを証明している。各区分の境界は、東アジア規模での歴史のうねり(中国の春秋戦国時代から秦漢帝国への移行など)とも密接に連動しており、列島社会が大陸や朝鮮半島の動向と深く関わりながら自律的に発展していった軌跡を鮮明に描き出している。

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