自然主義
【概説】
明治30年代後半から大正時代初期にかけて、日本の文壇と思想界を席巻した文学潮流。理想や美化を排し、人間の内面にある醜悪な部分や社会の暗い現実を「ありのまま」客観的に描写しようとした。日露戦争後の社会不安や自我の覚醒を背景に発展し、後の日本文学のあり方に決定的な影響を与えた。
西洋からの移入と時代背景
自然主義は、本来は19世紀後半のフランスにおいて、エミール・ゾラやモーパッサンらによって提唱された文学理論である。彼らは自然科学の観察方法を文学に持ち込み、人間の行動を遺伝や環境の産物として客観的に描破しようとした。これが日本に移入されたのは明治20年代後半以降であるが、文学運動として本格的に台頭したのは明治30年代後半(1900年代半ば)に入ってからである。
この時期の日本は、日清・日露戦争を経て近代国家としての体裁を整える一方で、急速な資本主義化に伴う貧富の差の拡大や社会問題の噴出に直面していた。また、国家の要請と個人の内面との間に軋轢が生じ、青年層を中心に強い社会不安と自我の覚醒が芽生えていた。こうした時代背景の中、明治20年代の浪漫主義(ロマン主義)が掲げた理想や情緒が空々しいものとして退けられ、現実の暗部を直視し、偽りなく描こうとする自然主義が時代の要請として受け入れられたのである。
代表的作家と記念碑的実作
日本の自然主義文学の確立を決定づけたのは、1906(明治39)年に発表された島崎藤村の『破戒』と、翌1907(明治40)年に発表された田山花袋の『蒲団』である。
藤村の『破戒』は、被差別部落出身の青年教師が、社会の偏見と自身の出自を隠し続ける苦悩の末に自己告白に至るまでを、緻密な社会描写とともに描き出した傑作であり、日本の本格的な近代小説の出発点と高く評価された。一方、花袋の『蒲団』は、妻子ある中年の作家が若い女弟子に対して抱く醜悪な性欲や嫉妬、未練を赤裸々に告白した作品である。この作品が文壇に与えた衝撃は凄まじく、以降の日本の自然主義の方向性を決定づけることとなった。
この両名に加え、庶民の停滞した日常を淡々と描いた徳田秋声(『新世帯』『黴』)、冷徹な虚無感に裏打ちされた正宗白鳥(『何処へ』)、そして岩野泡鳴らを合わせた五人が、自然主義を代表する作家として活躍した。
日本的変容と「私小説」の誕生
西洋の自然主義が、社会全体を客観的・科学的に観察し、人間の運命を描き出そうとする巨視的な視点を持っていたのに対し、日本の自然主義は独自の変容を遂げた。国家や社会といった広い視野の描写は次第に後退し、作家自身の身辺や内面の醜悪さを隠さずに暴露することこそが「真実」であるとする、狭所的・内向的なアプローチへと傾斜していったのである。
特に田山花袋の『蒲団』以降、作家の実体験や私生活をそのまま小説の題材とする私小説(心境小説)という日本独自の文学形態が確立された。これは、市民社会の成熟が遅れていた当時の日本において、社会構造に対する批判よりも、まず自己の内面を解放し、古い道徳から自我を確立しようとする思想的営みであったと評価できる。しかし同時に、現実を単なる自己暴露や宿命論的悲観に矮小化してしまうという限界も孕んでいた。
衰退と近代日本思想史における意義
明治末期から大正時代に入ると、自然主義の暗く閉塞的な現実描写や、平面的な自己告白に対して批判が高まった。これに対して、夏目漱石や森鴎外といった知的で倫理的な視点を持つ余裕派(反自然主義)や、美の世界を追求する耽美派(永井荷風、谷崎潤一郎)、さらには人間の理想や生命の肯定を謳う白樺派(武者小路実篤、志賀直哉)などが次々と台頭し、自然主義は文壇の主流から退いていった。
しかし、自然主義が確立した「自己の真実を偽りなく見つめる」という態度は、その後の大正・昭和の文学表現の基調底音として深く根を下ろした。私小説の伝統は近代日本文学の主流の一つとして長く継承されることとなり、また思想史の観点からも、封建的な旧道徳を打破し、近代的な「個」と「自我」を日本社会に定着させる上で果たした役割は極めて大きい。