自動車
【概説】
明治30年代(1890年代末)に欧州から初めて日本へ輸入・導入された、原動機付きの四輪車。当初は特権階級の娯楽や見世物としての性格が強かったが、近代化の進展とともに都市交通の主役に成長し、日本の産業構造や社会生活を大きく変貌させる契機となった画期的な移動手段である。
日本における自動車の渡来と初期の受容
日本に初めて自動車が持ち込まれたのは、1898(明治31)年のことである。フランス人テオドール・ロビスが築地のフランス商館に持ち込んだフランス製の車両や、同年にイタリア公使が持ち込んだ車両などが最初期のものとされている。明治30年代当時の自動車は、ごく一部の富裕層や華族の贅沢品、あるいは珍奇な見世物としての側面に留まっており、一般大衆にとって身近な交通手段ではなかった。しかし、その圧倒的な速度と自走能力は、当時の日本人に近代テクノロジーの威力を強く印象付けた。
その後、明治末期から大正時代にかけて技術の近代化が進むなかで、自動車の国産化への模索が始まった。1907(明治40)年には山羽虎三郎らが日本初の国産蒸気自動車を試作し、1914(大正3)年には橋本増治郎が設立した快進社によって、後に日産自動車の源流となる純国産ガソリン車「脱兎号(ダット自動車)」が完成した。このように、欧米からの輸入に始まった日本の自動車史は、急速な技術の受容と国産化への熱意によって産業としての土台が形作られていった。
都市交通の変革とモータリゼーションの胎動
自動車の普及は、それまでの日本の交通体系に革命をもたらした。明治期の都市交通は、鉄道や路面電車といった軌道交通と、人力車や馬車といった前近代的な移動手段が共存していた。特に明治を通じて移動の主役であった人力車は、大正期にタクシーや乗合自動車(バス)が本格的に登場すると、その利便性と速度の前に次第に駆逐されていくこととなった。
日本における自動車の社会的地位を決定づけたのが、1923(大正12)年の関東大震災である。震災によって東京の路面電車網が壊滅した際、応急措置としてアメリカ・フォード社製のシャシーを用いた乗合バス(通称「円太郎バス」)が導入された。このバスが抜群の機動力と復旧の速さを示したことで、自動車の有用性が広く社会に認知された。これを契機に、国内における本格的な道路整備が進められ、大衆に普及するモータリゼーションへの道が拓かれることとなった。