日本赤十字社

西南戦争時に設立された「博愛社」が、1887年に国際的な条約に加盟して名称を改めた、戦時や災害時の救護を行う組織は何か?
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重要度
★★

日本赤十字社

1877年~

【概説】
1877年の西南戦争の際に設立された「博愛社」を前身とし、戦時や災害時に敵味方の区別なく救護活動を行う人道機関。1887年に日本赤十字社へと改称され、日本の国際社会への参入を象徴する組織として発展した。皇室の厚い庇護のもと、近代日本の戦時救護や災害救助において極めて重要な役割を果たした。

博愛社の設立と西南戦争

日本赤十字社の起源は、1877年(明治10年)に勃発した士族反乱の最大にして最後のものである西南戦争に遡る。元佐賀藩士の佐野常民や大給恒(おぎゅうゆずる)らは、ヨーロッパの赤十字運動(ジュネーヴ条約)の理念を知り、凄惨な地上戦が繰り広げられていた九州の戦地で、敵味方の区別なく負傷兵を救護する組織の必要性を痛感した。彼らは「博愛社」の設立を政府や陸軍に願い出たが、当初は「反乱軍(賊軍)を救護するとは何事か」という強い反発に直面した。しかし、征討総督であった有栖川宮熾仁親王の英断によって設立が認可され、悲惨な戦場で官軍・薩摩軍の双方に対する人道的な救護活動が展開された。

条約加盟と「日本赤十字社」への改称

西南戦争終結後も博愛社は存続し、日本が近代国家としての制度を整えていく中で、その組織改革が進められた。1886年(明治19年)、日本政府はジュネーヴ条約(万国赤十字条約)に調印し、翌1887年(明治20年)に博愛社は日本赤十字社と改称して国際赤十字の一員となった。明治政府が赤十字活動を国家的に支援した背景には、欧米列強に対して日本が人道主義を理解する「文明国」であることを示し、当時最大の外交課題であった不平等条約の改正(条約改正交渉)を有利に進めるという強力な政治的・外交的意図が存在していた。

皇室の庇護と国民的組織への発展

日本赤十字社は、発足当初から日本の皇室と極めて密接な関係を持っていた。特に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)は赤十字活動に深く傾倒し、多額の資金(現在の「昭憲皇太后基金」の基盤)を下賜するなど、その普及に大きく貢献した。皇室の庇護を受けることで、日本赤十字社は「国家公認の格式高い団体」としての地位を確立し、日清戦争や日露戦争を通じて会員数を爆発的に増加させていった。また、赤十字の従軍看護婦の養成は、当時の日本女性にとって先駆的な社会進出の機会となり、戦時における「銃後の守り」を支える国民的動員の基盤としても機能したのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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