普通銀行
【概説】
明治時代の日本において、発券機能を持たず、一般の預金・貸出・為替業務を主たる業務とした民間の金融機関。1890年の銀行条例制定によって法的に定義され、国立銀行の転換や私立銀行の新設を通じて、近代日本の産業資本形成を金融面から支える主軸となった存在である。
国立銀行の再編と銀行条例の制定
明治政府は当初、アメリカの制度を模した国立銀行条例(1872年)を制定し、民間資金を活用した兌換制度の確立を目指した。しかし、1876年の同条例改正による金札兌換義務の廃止に伴い、国立銀行が乱立して激しいインフレーションを引き起こすこととなった。この事態を収拾するため、1882年に中央銀行である日本銀行が設立され、貨幣発行権(紙幣発行権)は日本銀行に一元化されることとなった。これにより、既存の国立銀行は営業満期(20年)を迎えた後に、発券機能を持たない「普通銀行」へと移行することが義務づけられた。そして1890年、これら民間銀行の活動を法的に位置づけるため銀行条例(1893年施行)が制定され、ここに日本の普通銀行制度が本格的に確立した。
松方デフレと民間銀行の勃興
大蔵卿(のちの大蔵大臣)松方正義による緊縮財政とデフレーション政策(松方デフレ)は、日本経済に激しい構造転換をもたらした。この過程で、紙幣発行権を失った国立銀行は、一般の預入金や自己資金を元手に関東・関西の有力企業へと融資を行う普通銀行への転換を余儀なくされていく。また、国立銀行の転換だけでなく、三井銀行や安田銀行といった有力な政商系・両替商系の私立銀行も普通銀行としての体制を整えていった。さらに、各地で中小の普通銀行が雨後の筍のように設立され、地主や地方名望家が発起人となって地方産業(製糸業や織物業など)を支える金融インフラが形成されていった。
産業革命の進展と普通銀行の課題
1890年代から1900年代にかけて、日清戦争や日露戦争を契機に日本の産業革命が本格化すると、普通銀行の重要性はさらに高まった。普通銀行は、国民から広く預金を吸収し、それを鉄道業や紡績業といった近代産業の株式購入や運転資金の貸出へと回すことで、日本資本主義の発達を強く後押しした。しかし、当時の多くの普通銀行は資本金が極めて少なく、特定の企業に過剰な融資を行う「機関銀行」的な性格が強かった。そのため、戦後の反動恐慌などが発生するたびに多くの銀行が連鎖倒産する脆弱性を抱えており、大正期から昭和初期にかけて銀行の合併・統合が進められ、のちの五大銀行による金融支配へと収斂していくこととなる。