当世書生気質 (とうせいしょせいかたぎ)
【概説】
明治中期の1885年から1886年にかけて刊行された、坪内逍遥による小説。逍遥自身が提唱した写実主義の文学理論を実践し、当時の東京における書生(学生)たちの等身大の世態風俗や心理をリアルに描いた、近代日本文学の出発点となる記念碑的作品である。
『小説神髄』のリアリズム理論の実践
明治初期の日本文学界では、江戸時代以来の「勧善懲悪」を目的とする戯作(げさく)文学や、政治的主張を伝えるための政治小説が主流を占めていた。これに対し、坪内逍遥は文学を政治や道徳の従属物から解放し、独立した一つの芸術として確立すべきだと主張した。その画期的な文学評論が、1885(明治18)年に発表された『小説神髄』である。逍遥は同書の中で、小説の主眼は「人情(人間の心理や感情)」であり、それを「世態風俗(社会のありさま)」が取り囲む形で、ありのままに写し取るべきであるという写実主義(リアリズム)を唱えた。この自らの先駆的な理論を、具体的に作品として形にして見せたのが『当世書生気質』であった。
書生風俗の描写と近代文学への過渡期的限界
本作では、東京の大学(現在の東京大学など)に通う「書生」と呼ばれるエリート学生たちのリアルな生態が描かれている。国家の未来を論じる一方で、吉原などの花街での放蕩や恋愛に現世的な悩みを抱える若者たちの等身大の姿は、当時の読者(特に若い世代)に大きな共感と新鮮な驚きをもって受け入れられた。これにより、小説の題材が英雄や過去の歴史から、同時代の日常的な人間模様へと移行することとなった。
しかし一方で、本作は近代小説として未完成な部分も残していた。文体は依然として江戸戯作の影響を色濃く残す「雅俗折衷体」であり、語り口も落語や寄席のトーンを引いていた。また、物語の展開において偶然の再会や因果応報といった旧態依然とした劇的構成に頼るなど、逍遥自身が提唱した写実主義の理想を完全に具現化できたわけではなかった。この『当世書生気質』における限界を乗り越えるべく、逍遥の教え子であった二葉亭四迷が、完全な言文一致体(話し言葉を用いた文体)による『浮雲』を著すことで、日本の近代写実主義小説は真の完成を迎えることとなる。