帝国議会

1890年に第1回が開かれた、貴族院と衆議院の二院制からなる大日本帝国憲法下の立法機関は何か?
カテゴリ:
重要度
★★★

帝国議会

1890年〜1947年

【概説】
大日本帝国憲法のもとで設置された、天皇の立法権を協賛する機関。非公選の特権階級からなる貴族院と、公選議員からなる衆議院の二院制で構成された。1890年の第1回議会開設から1947年の日本国憲法施行に伴う廃止まで、近代日本の政党政治の発展と衰亡の舞台となった。

帝国議会の開設と二院制の仕組み

1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法に基づき、翌1890年(明治23年)に第1回帝国議会が召集された。アジアで初めて開設された近代的な議会であったが、憲法上、天皇が国の統治権を総攬し立法権も有していたため、帝国議会はあくまで天皇の立法権行使に同意を与える「協賛」機関としての位置づけにとどまっていた。

議会は貴族院衆議院の二院制がとられた。貴族院は、皇族・華族や、天皇から任命された勅任議員(多額納税者や国家功労者など)で構成される非公選の議院であり、保守的な防波堤として機能した。一方の衆議院は、選挙によって選出される公選議院であったが、当初は「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」という厳しい制限選挙であったため、有権者は全人口の約1.1%にすぎなかった。両院は原則として対等の権限を持っていたが、予算の先議権のみ衆議院に認められていた。

初期議会における「民党」と藩閥政府の攻防

開設当初の議会(初期議会)では、板垣退助が率いる自由党や大隈重信が率いる立憲改進党などの民党(政党)が衆議院の多数を占めた。彼らは「政費節減・民力休養(予算削減と地租軽減)」を掲げ、軍備拡張を進めようとする薩長出身者中心の藩閥政府と激しく対立した。当時の政府は、政党の意向に左右されず政策を行うとする超然主義の立場をとっていた。

政府は予算案を成立させるため、衆議院の解散や、第2回総選挙(1892年)における内務大臣・品川弥二郎らによる大規模な選挙干渉などで民党を弾圧したが、議会の抵抗を抑え込むことはできなかった。結局、政府は民党の一部を切り崩したり、妥協を図ったりすることで政権運営を維持することとなり、1894年(明治27年)の日清戦争開戦によって、ようやく政府と議会は挙国一致体制へと向かうこととなった。

大正デモクラシーと政党政治の成熟

日露戦争後から大正時代にかけて、都市の中間層や民衆の政治的関心が高まり、憲政擁護運動に代表される大正デモクラシーの潮流が生まれた。これにより、藩閥や官僚に対する政党の優位性が次第に確立されていく。1918年(大正7年)には、立憲政友会総裁の原敬を首相とする、日本初の本格的な政党内閣が誕生し、議会政治は大きな転換点を迎えた。

1924年(大正13年)の護憲三派内閣以降は、衆議院の多数派政党の党首が内閣を組織する「憲政の常道」と呼ばれる慣行が定着した。さらに、1925年(大正14年)には普通選挙法が成立し、納税資格が完全に撤廃され、満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられた。これにより、帝国議会はより広範な国民の意思を反映する場としての機能を持つようになった。

軍部の台頭と帝国議会の終焉

しかし、1930年代に入ると、昭和恐慌の影響や政党の腐敗に対する国民の不信感を背景に、軍部の政治的発言力が急激に増大した。1932年(昭和7年)の五・一五事件で犬養毅首相が暗殺されると政党内閣の時代は終わりを告げ、議会の影響力は著しく低下した。

日中戦争が泥沼化するなか、1940年(昭和15年)には新体制運動によって既存の全政党が解散に追い込まれ、大政翼賛会に合流した。これにより、帝国議会は政府の提案を無批判に承認するだけの「翼賛議会」と化し、本来の審議機関としての機能を完全に喪失した。

1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令による民主化政策の中で、婦人参政権の実現など選挙制度の根本的な改革が行われた。そして1947年(昭和22年)5月3日、主権在民を掲げる日本国憲法の施行に伴い帝国議会は廃止され、新たに「国権の最高機関」としての国会へと生まれ変わった。

天皇と政治: 近代日本のダイナミズム

天皇制と政治の変遷を辿り、近代日本を形作った権力構造のダイナミズムを解き明かす知的興奮に満ちた一冊。

帝国議会―西洋の衝撃から誕生までの格闘 (中公新書)

西洋の衝撃を乗り越えいかにして帝国議会が誕生したのか、憲法制定へ向かう激動の政治史を鮮やかに描く大作。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 古墳時代中期において、鏡などの呪術的品に代わって副葬品の主流となった実戦的な鉄製の道具(剣や刀など)を総称して何というか?
Q. 豊臣秀吉の正室(高台院)を祀る京都の寺院に施された、漆器に金銀の粉を蒔きつける桃山時代の華麗な装飾技法(作品名)は何か?
Q. 律令国家において、基本法典である律令の規定を実情に合わせて修正・補足した追加法令を何というか?
A.