格 (きゃく)
【概説】
律令の基本規定を、社会の変化に合わせて補足・修正するために出された追加法令。奈良時代から平安時代にかけて、律令制の変容に伴って頻発に発布され、後に「式」とともに編纂されて古代法体系の重要な一部を構成した。
律・令・格・式の役割と「格」の定義
古代日本の法体系は、中国の唐の制度に倣い、律(刑法)と令(行政法・民法等の規定)を基本法としていた。しかし、社会情勢の変化や日本独自の国情に合わせてこれらの基本法を運用するためには、随時新たな法令を出す必要があった。このうち、律令の規定を部分的に補足・修正、あるいは一時的に停止する目的で発布された追加法令が格(きゃく)である。一方、律令や格を施行するための詳細な施行細則や事務手続きを定めたものは式(しき)と呼ばれた。「格」は基本法である律令と同等の強い効力を持ったため、律令制下の社会において極めて重要な役割を果たした。
社会の変化と「格」の頻発
701年の大宝律令、718年の養老律令(施行は757年)によって律令国家の基本法は完成を見た。しかし、奈良時代から平安時代初期にかけて、班田収授法の弛緩や逃亡・浮浪の増加、初期荘園の成立など、律令制の前提となっていた社会基盤が大きく変質し始めた。律と令という固定化された成文法だけでは、急速に変化する社会の実態に即した統治を行うことが困難となっていたのである。
そこで朝廷は、その時々の政治的課題に対処するため、天皇の詔勅や太政官符などの形式で次々と「格」を発布した。これにより、律令を根本から改定することなく、柔軟かつ迅速に法制度をアップデートすることが可能となった。しかし、その結果として多種多様な格が蓄積され、法令間での矛盾や重複が生じ、法体系全体が非常に複雑で分かりにくいものになっていった。
三代格式の編纂と法体系の整理
法令の乱立による行政の混乱を収拾するため、平安時代に入ると、これら蓄積された格や式を分類・整理する編纂事業が行われた。嵯峨天皇の時代に成立した弘仁格式(820年成立)、清和天皇の時代の貞観格式(869年成立)、そして醍醐天皇の時代の延喜格式(927年成立)である。これら三度の国家的な編纂事業によってまとめられた格式を総称して三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。
編纂にあたっては、古い格の中で現在の法制にそぐわないものは削除され、有効なものだけが官司(役所)ごとに分類・整理された。これにより、国家の法体系は「養老律令」を建前上の基本としつつも、実質的な行政や裁判の基準は、時代に即してまとめられた「格」や「式」へと完全に移行していった。平安時代中期以降の王朝国家体制は、実のところこれらの格式を土台として運営されていたのである。
史料としての『類聚三代格』
三代格式のうち、原本が完全な形で今日に伝わっているのは『延喜式』のみであり、「格」については散逸してしまった部分が多い。しかし、平安時代後期に三代の格を事項別に分類・編集し直した『類聚三代格』(るいじゅうさんだいきゃく)という私撰の法制書が編纂されており、その一部が現存している。この史料には、奈良時代から平安時代にかけて発布された重要な追加法令が多数収録されており、土地制度の変化や仏教統制、地方行政の実態など、古代日本の政治・社会の変容を具体的に知るための第一級の史料として歴史学研究において重宝されている。