式
【概説】
律令や格を実際に運用していく上で必要となる、詳細な施行細則や行政手続きを定めた規定。
日本の律令法体系において、基本法典である「律令」や追加法である「格」を実態に合わせて補完する重要な役割を担った。
平安時代には膨大化した格式を整理した「三代格式」が編纂され、中でも『延喜式』は古代国家の具体的な制度や文化を知る第一級の史料となっている。
律令法体系における「式」の役割
日本の律令制における法体系は、大きく「律」「令」「格(きゃく)」「式(しき)」の4つに分類される。「律」は現代の刑法に、「令」は行政法や民法などの一般法に相当する基本法典である。これに対し、「格」は律令の規定を修正・補足するために随時出された追加法令であり、「式」はそれらの法律を実際に運用するための施行細則や行政事務の手続きを定めたものであった。
現代の法制度に例えるならば、国会で制定される「法律」が律令であり、それを各省庁が実行するための「施行令」や「施行規則」が「式」に当たる。中央官庁における事務処理の基準、儀式の作法、地方諸国からの貢進物の種類や数量など、実務に直結する極めて具体的な内容が規定されていた。
社会の変化と「格式」の重要性の高まり
8世紀初頭に制定された大宝律令(701年)や、その後の養老律令といった基本法典は、一度制定されると容易には改定されなかった。しかし、奈良時代から平安時代へと時が下るにつれ、社会情勢は大きく変化し、律令制の矛盾が表面化し始めた。本来の「律令」の規定だけでは、現実の政治や社会の変化に対応できなくなったのである。
そこで朝廷は、基本法典を根本的に改定するのではなく、随時発布される「格」や「式」によって法体系をアップデートし、実態に合わせた柔軟な運用を図る手法をとった。このため、時代が下るにつれて「式」の果たす役割は相対的に大きくなり、律令体制を延命・維持するための重要な法的手段となっていった。
平安時代の「三代格式」の編纂
天皇の代替わりや年月を経るごとに、単行の「格」や「式」は膨大な量となり、内容の矛盾や重複が生じるようになった。これは実際の行政運営において大きな支障をきたしたため、平安時代に入ると、これらを整理・分類する大事業が国家の主導で行われた。
嵯峨天皇の時代の弘仁格式(こうにんきゃくしき)(820年制定)、清和天皇の時代の貞観格式(じょうがんきゃくしき)(格は869年、式は871年制定)、そして醍醐天皇の時代の延喜格式(えんぎきゃくしき)(格は907年、式は927年完成)である。これら三つの時代に編纂された格式を総称して三代格式(さんだいきゃくしき)と呼ぶ。各時代の官司(役所)ごとに分類され、行政の現場で直ちに参照できるよう実用的に整備された。
第一級の歴史史料としての『延喜式』
三代格式のうち、現代において特に重要視されているのが、全50巻からなる『延喜式』である。他の格式の多くが歴史の波の中で散逸してしまったのに対し、『延喜式』はほぼ完全な形で現代に伝わっている。
その内容は、神祇官関係の規定(全国の主要な神社をリスト化した「延喜式神名帳」や祝詞など)から、太政官八省の細かな行政・儀式手続きまで網羅されている。交通制度、産業、税制の仕組みはもちろん、天皇の食事のメニューや当時の人々の生活様式に至るまでが詳細に記されており、古代日本の政治、経済、社会、文化の具体的な実態を復元する上で欠かすことのできない無二の史料となっている。「式」は単なる法令の細則にとどまらず、平安時代の国家のありようを今日に伝える貴重なタイムカプセルとしての役割を果たしている。