女学雑誌 (じょがくざっし)
【概説】
明治中期に創刊され、女性の地位向上やキリスト教的人道主義を主唱した日本初の本格的な女性向け総合啓蒙雑誌。主筆を務めた巌本善治のもとで近代的・キリスト教的な家庭・女性観を普及させ、明治の言論界をリードした。また、北村透谷らによる初期のロマン主義文学が発表される舞台ともなり、近代日本文学史においても極めて重要な足跡を残した。
キリスト教的家族観と女性の地位向上
『女学雑誌』は1885(明治18)年、近藤賢三や巌本善治らによって創刊された。当時の日本は、政府主導による鹿鳴館に代表される欧化政策の最中にあり、欧米の近代的な思想や生活様式に対する関心が急速に高まっていた。同誌は、キリスト教精神に基づき、従来の儒教的な「男尊女卑」や家父長制的な慣習を厳しく批判。女性の知的・精神的自立、男女同権、一夫一婦制を強く主張した。巌本が唱えた「賢母良妻」は、のちに国家が推奨する国家主義的な良妻賢母像とは異なり、個人の尊厳を持ったパートナーとして夫に対等に向き合う近代女性像を意図したものであった。この理想は、巌本らが創設に関わった明治女学校の教育実践とも深く結びついていた。
近代ロマン主義文学の揺籃(ようらん)地
同誌は思想的な啓蒙にとどまらず、明治文学史におけるロマン主義運動の先駆的な舞台となった。1890年代前後から、若き日の北村透谷、島崎藤村、星野天知、戸川秋骨らが執筆陣として加わり、清新な文学・評論活動を展開した。特に北村透谷が発表した「厭世詩人と女性」などのロマン主義的評論は、キリスト教的思潮を背景に「恋愛(ラブ)」の概念を日本に定着させ、若者たちの内面世界に劇的な変化をもたらした。彼らの文学活動は『女学雑誌』から徐々に自立し、のちに近代文学に決定的な影響を与える文芸誌『文学界』の創刊へとつながっていくこととなる。
国家主義の台頭と廃刊への道
明治20年代半ば以降、日清戦争の勃発や教育勅語の制定などを背景に、日本社会では国粋主義・国家主義の思潮が台頭。これにより、キリスト教的・欧米的な価値観に対する逆風が強まった。保守化する社会において、『女学雑誌』が提唱する自由で自立した女性像は敬遠されるようになり、読者層の減少を招いた。時代の変化に伴い論調の維持が困難となり、日露戦争期にあたる1904(明治37)年に全526号をもって廃刊を迎えた。しかし、同誌が提示した女性の自己解放や人権意識は、大正デモクラシー期における平塚らいてうらの新婦人協会など、後世の女性運動へと確実に受け継がれていった。