穂積八束

「民法出デテ忠孝亡ブ」という論文を発表し、ボアソナード起草の旧民法を激しく批判して民法典論争を引き起こした延期派の法学者は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

穂積八束 (ほづみやつか)

1860年〜1912年

【概説】
明治時代の法学者。ドイツ留学を経て天皇主権を擁護する神権的憲法学を構築し、旧民法の制定に際して「民法出デテ忠孝亡ブ」と主張して激しい反対運動(民法典論争)を展開した人物。

フランス法思想への反発と「民法出デテ忠孝亡ブ」

穂積八束は、明治政府が近代国家の体裁を整えるために法制度の整備を急ぐ中で、フランスの法学者ボアソナードを中心に起草された「旧民法」に対して、日本の伝統的な家族制度や倫理観を破壊するものとして激しく反発した。1890年、彼は論文「民法出デテ忠孝亡ブ」を『法学新報』に発表。この中で、個人の権利や平等を重視するフランス法的な自由主義・個人主義思想は、日本の伝統的な「家」制度、およびそれに支えられた天皇への「忠」と親への「孝」という道徳秩序を根底から揺るがすものであると鋭く批判した。

民法典論争の勃発と明治民法への影響

八束の論文は、当時の言論界や法学界に大きな波紋を広げ、民法の早期施行を求める「断行派」と、慎重な改訂を求める「延期派」との間で激しい「民法典論争」を引き起こす契機となった。八束ら延期派は、旧民法が日本の国体に合致していないと糾弾し、最終的に1892年の帝国議会において旧民法の施行延期を勝ち取った。この論争の結果、旧民法は廃案となり、八束の兄である穂積陳重や富井政章、梅謙次郎らが中心となって新たに「明治民法」(1896年・1898年公布)が制定された。この明治民法には、八束らが重視した戸主権の強化など、伝統的な「家制度」を維持するための妥協的な規定が色濃く反映されることとなった。

天皇主権説の理論的支柱としての思想的役割

穂積八束の思想的影響は、民法典論争にとどまらず、憲法学の分野においても極めて大きかった。ドイツ(プロイセン)留学を経て国家有機体説や主権論を学んだ彼は、大日本帝国憲法における天皇の絶対的権力を理論化する役割を担った。彼は国家を「家」の拡張と捉え、天皇を「家長」とする家族国家観(国体論)を展開。この神権的な天皇主権説は、後の上杉慎吉らによって継承され、大正デモクラシー期に台頭する美濃部達吉の「天皇機関説」と鋭く対立することになる。八束の思想は、近代日本の国家主義・家族主義的なイデオロギーの法理学的基盤を形成する上で、極めて重要な位置を占めていた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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