謀殺未遂罪 (ぼうさつみすいざい)
1891年
【概説】
1891年の大津事件において、大審院が被告人・津田三蔵に対して適用した旧刑法上の通常の殺人未遂罪。ロシアとの外交破局を恐れて「大逆罪」による死刑適用を迫る明治政府の圧力を退け、法治主義に基づく司法の独立を守り抜いた判決として日本法制史上に残る罪名である。
大津事件の発生と政府の「大逆罪」適用要求
1891年(明治24年)5月11日、来日中であったロシア帝国皇太子ニコライ(のちの皇帝ニコライ2世)が、滋賀県大津市において警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りつけられて負傷する「大津事件」が発生した。強大な軍事力を背景に持つロシアとの関係悪化、ひいては軍事報復や領土割譲を恐れた明治政府(第1次松方正義内閣)は、事態を速やかに収拾するため、津田を死刑に処すことを画策した。しかし、当時の旧刑法には外国人に対するテロへの特別規定がなく、通常の「謀殺未遂罪」では死刑に処すことができなかった。そこで政府は、皇室に対する罪である「大逆罪(旧刑法116条)」をロシア皇太子にも類推適用するよう、司法機関に対して激しい圧力を加えた。
司法の独立の固守と「謀殺未遂罪」の適用
この政府による不当な干渉に対し、大審院長(現在の最高裁判所長官に相当)の児島惟謙は、近代国家としての「司法の独立」と法治主義の基本である「罪刑法定主義」を守る立場から毅然と反対した。児島は担当判事らを説得・激励し、大逆罪の適用を拒絶させた。結果として大審院は、法の規定通りに通常人への計画的殺人未遂にあたる「謀殺未遂罪」を適用し、津田三蔵に対して無期徒刑(無期懲役)の判決を下した。この判決は、日本が近代的な三権分立を確立し、欧米列強に対して「法治国家」であることを示す上で極めて重要な足跡となった。