壺
【概説】
弥生土器の器種の一つで、口縁部が狭く胴部が膨らんだ形態を持ち、主に穀物などの貯蔵に用いられた容器。水稲農耕の本格化に伴う余剰生産物の蓄積を背景に成立し、弥生時代における明確な用途分化を象徴する重要な遺物である。
弥生土器における器種の分化
縄文時代の土器(縄文土器)は、深鉢を中心として煮炊きや貯蔵など多様な用途を兼ねる「万能型」の器が主体であった。しかし、弥生時代に入り人々の生活様式が変化すると、土器は用途に応じて明確に作り分けられるようになった。弥生土器の基本構成は、煮炊き用の甕(かめ)、盛り付け用の鉢(はち)や高坏(たかつき)、そして貯蔵用の壺(つぼ)という4器種に大別される。
壺は、中のものが外にこぼれないよう、また外部から湿気や虫などが侵入しにくいように口縁部が狭く作られているのが最大の特徴である。口の狭さと膨らんだ胴部という形態は、液体の運搬や穀物の長期保存に極めて適した設計であった。
稲作農耕と「貯蔵」の歴史的意義
壺が大量に製作・使用されるようになった背景には、水稲農耕の普及による余剰生産物の発生がある。収穫された米などの穀物は、翌年のための種籾として、あるいは端境期を乗り越えるための非常食として、厳重に保管される必要があった。高床倉庫などの建築物とともに、穀物をネズミや湿気から守るための容器として壺は不可欠な存在となったのである。
この「貯蔵」という行為は、日本列島における社会構造を根本から変容させた。長期間保存可能な穀物(富)を蓄積できるようになったことは、集団内や集団間に貧富の差を生み出し、ひいては階級の分化や権力者の登場、そして「クニ」と呼ばれる政治的まとまりが形成される直接的な要因となった。壺は、単なる日用品にとどまらず、農耕社会の成熟と階級社会成立の前提となる「富の蓄積」を体現する歴史的遺物として極めて重要な意味を持っている。
墓制や祭祀における特別な役割
壺は日常的な貯蔵用具としての機能だけでなく、精神文化や葬送儀礼の場でも特別な役割を担った。弥生時代には、亡くなった乳幼児を土器に納めて埋葬する甕棺葬(かめかんそう)がみられるが、その際に甕ではなく壺を用いた壺棺(つぼかん)も広く確認されている。また、東日本で特徴的にみられる再葬墓(さいそうぼ)では、一度埋葬して白骨化した人骨を洗い清め、再び土器に納めて埋葬するが、その際の「蔵骨器」として、人面装飾などが施された特殊な壺が用いられた。
さらに、農耕儀礼においては、豊作を祈願し、あるいは収穫を感謝するための供物(神酒や初穂)を納める祭祀用の器としても重用された。こうした非日常的な用途に用いられた壺には、丹(朱)で赤く塗られたものや、精巧な文様が描かれたものが多く見受けられる。
製作技術と形態美の特徴
弥生土器の壺は、一般に縄文土器と比べて薄手で硬く焼き上げられており、明るい赤褐色を呈する。これは、野焼きでありながらも土や藁を被せて焼成温度を高く保つ「覆い焼き」の技術が導入されたためと考えられている。装飾面においては、縄文土器のような立体的で過剰な装飾は影を潜め、ろくろやハケを用いた機能的で洗練された形態美が追求された。
しかし、全く無文であったわけではなく、弥生時代前期の西日本を代表する遠賀川式土器(おんががわしきどき)の壺には羽状文が施され、中期以降も壺の頸部(首の部分)などにのみ櫛描文を施すなど、器のプロポーションを際立たせるような抑制の効いた装飾が施されている。このような製作技術と形態の変化は、大陸からの技術伝播と、定住農耕社会における合理性の追求がもたらした結果といえる。