弾正台 (だんじょうだい)
1869年〜1871年
【概説】
明治新政府が官吏の不正監察や社会の風紀取締りのために設置した監察・警察機関。古代律令制の官司を復古的に復活させたものであったが、近代的な警察・司法制度の整備に伴い、わずか2年余りで司法省に吸収されて廃止された。
律令回帰と新政府の規律粛正
明治新政府は発足直後、不平士族の反乱や社会不安、さらには官吏(役人)の汚職や規律の乱れに直面していた。これらを是正するため、1869(明治2)年の官制改革において、古代の律令制に倣った二官六省(のちに八省)の体制とともに弾正台が設置された。弾正台は太政官から独立した強い権限を持ち、官吏の不法行為の糾弾や、治安維持・風俗の取り締まりを担うこととなった。これは近代的な警察や検察の役割を先取りするものであったが、その組織理念はあくまで古代律令制の精神に基づく復古的なものであった。
藩閥との対立と司法省への発展的解消
弾正台はその職務の性質上、政府の実権を握る薩摩藩や長州藩出身の藩閥官僚に対しても厳しい監視の目を向けた。特に、長州閥の幹部であった木戸孝允らとの間で激しい権力闘争や路線対立を引き起こし、政府内の機能不全を招く一因となった。さらに、近代国家にふさわしい西洋式の司法・検察制度の導入が急務となると、職権が未分化で前近代的な弾正台は限界を迎えた。1871(明治4)年、より体系的な司法行政を司る司法省が設置されると、弾正台はこれに吸収される形で廃止され、その機能は近代的な警察や検察組織へと受け継がれていった。