前島密 (まえじまひそか)
【概説】
イギリスの制度を参考に日本の近代的な郵便制度を創設し、「郵便の父」と呼ばれる明治時代の官僚・政治家である。通信網の整備だけでなく、交通インフラの拡充や国語国字問題、教育事業にも尽力し、日本の近代化に多大な貢献を果たした。
幕末の動乱から新政府への出仕と東京奠都論
1835年(天保6年)、越後国頸城郡(現在の新潟県上越市)の豪農の家に生まれた。のちに幕臣・前島家の養子となり、前島密と名乗る。江戸に出て蘭学や英語、さらに医学や航海術など幅広い学問を修め、幕臣として開成所の数学教授などを務めた。
明治維新によって江戸幕府が崩壊したのち、大久保利通が新政府の拠点を大坂に移す「大坂遷都論」を唱えた際、前島はこれに真っ向から反対した。彼は江戸の経済的・地政学的な優位性を説き、江戸を「東京」と改称して首都とすべきとする建白書を提出した。この提案は大久保らの賛同を得て、実質的な東京奠都(東京遷都)の実現に大きな影響を与えた。その後、その才覚を見込まれて明治新政府に出仕することとなる。
近代郵便制度の創設と「郵便の父」
新政府において駅逓権正(えきていごんのかみ)に就任した前島は、近代国家に不可欠な通信インフラの構築に着手した。彼はイギリスのローランド・ヒルが創始した近代郵便制度(距離に関わらず全国一律の料金とする均一料金制や切手制度)を研究し、日本の実情に合わせた制度設計を行った。そして1871年(明治4年)、東京・大坂間で官営の郵便事業が開始された。
この際、これまで使われていた「飛脚」という言葉に代わり、「郵便」「切手」「葉書」といった名称を考案し定着させたのも前島である。既存の飛脚問屋からの猛反発に遭いながらも、前島は全国に郵便局(当初は郵便取扱所)を設置し、国家による統一的な情報伝達網を確立した。これにより、情報の流通速度は飛躍的に向上し、明治政府の中央集権化と殖産興業の推進を根底から支えることとなった。
交通・通信インフラ全般への貢献と啓蒙活動
前島の功績は郵便制度の枠にとどまらない。駅逓頭、のちに初代駅逓総官として、電信網の整備、海運業の育成、さらには鉄道の敷設など、日本の近代交通・通信インフラ全般の基礎を築いた。また、陸運会社の設立を支援し、これがのちの日本通運へと発展していくこととなる。
さらに前島は、国民の教育水準向上のためには難解な漢字を廃止し、仮名文字を用いるべきだとする「漢字御廃止之議」を1866年(慶応2年)に将軍・徳川慶喜に建白するなど、国語国字問題の先駆者でもあった。政治面では大隈重信と親交を深め、1881年(明治14年)の政変で下野した後は、大隈とともに立憲改進党の結成に参加。また、大隈が創設した東京専門学校(現在の早稲田大学)の第2代校長を務めるなど、私学教育の発展にも尽力した。
1円切手の肖像として
国家の基盤となるインフラを次々と整備し、近代化の屋台骨を築いた前島は、1919年(大正8年)に84歳でこの世を去った。日本の郵便事業をゼロから作り上げ、定着させた多大な功績から、彼は現在に至るまで「郵便の父」と敬称されている。
日本の切手において、その肖像が最も広く国民に親しまれている人物でもあり、1951年(昭和26年)に発行された1円切手に採用されて以来、デザインの微細な変更はあったものの、現在に至るまで半世紀以上にわたりその肖像が使われ続けている。これは、日本の近代化において彼が果たした役割の大きさを象徴していると言える。