イギリス(明治時代における関係)

高校日本史的重要度
★★

イギリス(明治時代における関係)

1868年〜1912年

【概説】
明治維新後の日本における近代化を技術・資金の両面から主導した欧州の列強国家。鉄道や電信の敷設を支援して日本の産業革命の基礎を築く一方、外交面では不平等条約改正の最大の障壁となり、後にロシアへの対抗から日英同盟を締結するなど、明治期の日本に多大な影響を与えた。

インフラ整備の主導と「お雇い外国人」による技術移転

明治政府が掲げた「富国強兵」「殖産興業」政策において、イギリスは最も重要なパートナーであった。特に近代的な交通・通信網の整備において、イギリスの影響力は圧倒的であった。1872年(明治5年)に新橋・横浜間で開通した日本初の鉄道建設に際しては、イギリスから多額の資金(外債)を借り入れただけでなく、建築師長としてエドモンド・モレルらを招聘した。モレルは技術指導のみならず、日本人技術者の養成や、鉄道運営に必要な制度の確立にも尽力した。また、日本全国に張り巡らされた電信網の整備や、灯台の建設(「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンによる貢献)など、明治初期の社会資本整備の多くが、イギリス人のお雇い外国人の手によって推進された。

条約改正から日英同盟へ至る外交関係の変遷

外交面における日英関係は、幕末に結ばれた不平等条約(領事裁判権の容認、関税自主権の欠如)の改正交渉を中心に展開した。イギリスは日本にとって最大の貿易相手国であり、それゆえ条約改正に対して最も頑強に反対する立場をとっていた。しかし、日本の法制度整備が進んだことや、東アジアにおけるロシアの南下政策(満洲や朝鮮への進出)を警戒したことから、イギリスは次第に日本との協調へと舵を切る。1894年、日清戦争の開戦直前に外相・陸奥宗光のもとで日英通商航海条約が調印され、領事裁判権治外法権)の撤廃に合意した。これが他国との条約改正の突破口となった。さらに、1902年には日英同盟を締結。かつて「光栄ある孤立」を誇ったイギリスが日本と同盟を結んだことは、日露戦争における日本の勝利を後押しし、日本が国際的な大国へと台頭する決定的な契機となった。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:29

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Q. ミッドウェー海戦において、山口多聞司令官の指揮下で唯一反撃を行って米空母を大破させたが、のちに集中攻撃を受けて沈没した空母は何か?
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