新渡戸稲造 (にとべいなぞう)
【概説】
明治から昭和初期にかけて活躍した農学者、教育家、および国際親善の先駆者。札幌農学校で学び、後に第一高等学校校長や国際連盟事務次長などの要職を歴任した。英文で執筆した『武士道』によって日本の伝統的道徳観を西洋社会へ広く紹介した功績で知られる。
札幌農学校でのキリスト教受容と国際感覚の醸成
新渡戸稲造は、現在の岩手県盛岡市にあたる南部藩の武士の家に生まれた。東京英語学校を経て、1877年に札幌農学校に第2期生として入学。前年に離任したウィリアム・S・クラークの精神的影響が色濃く残る環境のなか、新渡戸は同期の内村鑑三や宮部金吾らとともにキリスト教の洗礼を受けた。この時期に培われたキリスト教の人道主義と、「太平洋の橋になりたい」という強い志が、生涯にわたる国際活動の基盤となった。
札幌農学校を卒業後、東京帝国大学に進学したものの、当時の学問水準に失望して中退。その後、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学やドイツのハレ大学などへ留学して農政学や経済学を修め、学問的な視野を世界規模へと広げていった。帰国後は札幌農学校教授や台湾総督府の技師として、実務の面からも農政改革や糖業振興に尽力した。
『武士道』の執筆と西欧社会への日本文化の紹介
1900年、新渡戸は米国留学中の病気療養中に、英文で『武士道(原題:Bushido: The Soul of Japan)』をフィラデルフィアで出版した。日清戦争の勝利によって、欧米列強は東洋の新興国である日本に強い関心を寄せていた。しかし同時に、キリスト教のような一神教の信仰を持たない日本人が、なぜ高い道徳観や自己犠牲の精神を持ち得るのかという疑問も抱かれていた。新渡戸はこの問いに対し、封建時代の「武士道」こそが日本人の道徳規範の根源であると、西洋の哲学や聖書の言葉を引用しながら明快に説き明かした。
この著作は、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領をはじめとする多くの知識人に深く読まれ、世界各国語に翻訳される大ベストセラーとなった。のちの日露戦争期において、日本に対する国際的な理解や同情的な世論を形成する上で、外交的にも極めて大きな役割を果たすこととなった。
教育界への貢献と国際連盟における平和外交
新渡戸は、教育者としても近代日本に計り知れない足跡を残した。1906年にはエリート養成機関である第一高等学校(一高)の校長に就任し、厳格な規律よりも学生の自主性を重んじる「人格主義」の教育を施して多くの指導的人材を育成した。また、大正デモクラシー期には東京女子大学の初代学長を務め、当時は未発達であった女子高等教育の普及と地位向上に努めた。
さらに、第一次世界大戦後に設立された国際連盟では、1920年の発足時から約7年間にわたり事務次長を務めた。新渡戸は「ジュネーブの星」と称されるほど高い人望を集め、国際的な文化協力機構(のちのユネスコの母体)の創設など、世界平和と多国間協調のために尽力した。晩年は、満州事変の勃発による日本の国際的孤立と軍部の台頭に苦悩しつつも、日米関係の悪化を防ぐために対米世論の説得に奔走するなか、カナダで客死した。