医学所 (いがくしょ)
1861〜1869年
【概説】
幕末の1858年に江戸に開設された「お玉ヶ池種痘所」を起源とし、江戸幕府の直轄となった西洋医学の教育・研究機関。維新後は明治政府に引き継がれ、現在の東京大学医学部の直接の前身となった。
「お玉ヶ池種痘所」の設立と幕府直轄化の背景
19世紀半ば、日本国内では天然痘の猛威に対抗するため、西洋から伝来した牛痘苗を用いた安全な種痘法(予防接種)の普及が急務となっていた。1858年(安政5年)、伊東玄朴や大槻俊斎ら江戸の蘭方医たちが資金を出し合い、神田お玉ヶ池に「お玉ヶ池種痘所」を設立した。これが医学所の起源である。翌年の火災による焼失を経て下谷和泉橋通りに移転・再建されると、1860年(万延元年)には幕府の直轄機関(官立)となった。これにより、漢方医学を重んじていた幕府が、それまで非公認扱いに近かった蘭方医学(西洋医学)の有用性を公式に認める契機となった。
西洋医学の教育機関としての整備と近代医学への継承
1861年(文久元年)に「西洋医学所」と改称され、翌1862年には「医学所」と改められた。初代頭取には大槻俊斎が就任し、彼の死後は適塾の主宰者として名高い緒方洪庵、さらに長崎でポンペに師事した松本良順が頭取となって組織の近代化を推し進めた。医学所ではオランダ人医師ボードウィンらを招いて系統的な西洋医学の講義や臨床実習が行われ、多くの近代医師が育成された。明治維新を迎えると、幕府の医学所は新政府に接収されて「医学校」などと改称を重ね、最終的に東京大学医学部へと発展を遂げ、日本の近代医学・公衆衛生制度の基礎を築くこととなった。