新恩給与

将軍が御家人の戦功などに報いるため、平家没官領など新たに獲得した土地を地頭職などとして与えることを何というか?
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★★★

【参考リンク】
新恩給与(Wikipedia)

新恩給与 (しんおんきゅうよ)

1180年代〜1333年

【概説】
鎌倉幕府において、将軍が御家人に対して与えた「御恩」の形態の一つ。戦功や幕府への貢献に対する見返りとして、敵対勢力から没収した所領などの支配権(地頭職)を新たに宛行う制度である。祖先伝来の土地を保障する「本領安堵」とともに、鎌倉時代の武家社会における主従関係の根幹を成した。

「御恩と奉公」を支えた土地給与システム

中世日本の武家社会は、主君と従者が土地を媒介にして結びつく封建制度によって成立していた。鎌倉幕府においては、将軍と御家人の間に結ばれた主従関係を「御恩と奉公」と呼ぶ。将軍が御家人に対して与える「御恩」には、大きく分けて二つの形態が存在した。一つは、御家人が祖先から受け継いできた私有地(開発所領)の支配権を公認・保障する「本領安堵(ほんりょうあんど)」であり、もう一つが、戦功などを挙げた者に新たな土地を与える「新恩給与」である。

土地そのものが富と権力の源泉であった中世において、自らの命を懸けて戦う武士たちにとって、新たな所領の獲得は最大の関心事であった。将軍は新恩給与を行うことで御家人の忠誠心をつなぎとめ、御家人はその御恩に報いるために京都大番役や鎌倉番役、そして戦時における軍役などの「奉公」を果たしたのである。

源平の争乱と初期の新恩給与

新恩給与のシステムは、源頼朝が鎌倉幕府の基盤を築いていく過程で確立された。治承・寿永の乱(源平合戦)において、頼朝は平氏一門を打ち破り、彼らが全国に持っていた約500ヶ所にのぼる広大な所領(平家没官領)を没収した。さらに1189年の奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼすと、その広大な領地も手中に収めた。

頼朝は、これらの没収した土地の管理・徴税権である「地頭職(じとうしき)」を、戦功のあった東国御家人たちに新恩給与として与えた。これにより頼朝は「新しい土地を与えてくれる棟梁」としての圧倒的なカリスマ性を獲得し、武士たちの支持を集めて強固な武家政権を樹立することに成功したのである。

承久の乱による西国への拡大

新恩給与が歴史的に最も大規模に行われ、かつ幕府の権力が飛躍的に拡大する契機となったのが、1221年に起こった承久の乱である。後鳥羽上皇が鎌倉幕府討伐の兵を挙げたこの戦いにおいて、幕府軍は圧倒的な兵力で京方を打ち破った。戦後、幕府は上皇方についた貴族や武士の所領、約3000ヶ所をも没収した。

幕府はこれらの没収地を、戦功を挙げた東国御家人たちに「新補地頭(しんぽじとう)」として新恩給与した。これまで幕府の支配力は主に東国に留まっていたが、この大規模な新恩給与によって多くの東国武士が西国へ移住・定着することとなった。その結果、幕府の支配権は西国にまで広く及ぶようになり、鎌倉幕府は名実ともに全国政権としての地位を確立したのである。

元寇における機能不全と幕府の滅亡

鎌倉幕府の根幹を支えた新恩給与であったが、鎌倉時代後期に未曾有の国難が訪れたことでそのシステムは崩壊に向かう。1274年と1281年の二度にわたるモンゴル帝国の襲来(元寇)である。御家人たちは九州防衛のために多大な経済的負担と犠牲を強られて「奉公」を果たし、元の軍勢を撃退した。

しかし、この戦いはあくまで外国からの侵略を防ぐための防衛戦であった。国内での内乱とは異なり、敵から奪って御家人に「新恩給与」すべき新たな土地が存在しなかったのである。多大な犠牲を払ったにもかかわらず十分な「御恩」を得られなかった御家人たちの間で、幕府に対する不満が爆発した。

幕府は御家人を救済するために徳政令(永仁の徳政令)などを発布したが根本的な解決にはならず、土地を失い没落する武士が続出した。恩賞としての土地を与えられない幕府は急速に求心力を失い、悪党の活動や反幕府勢力の台頭を招くこととなる。このように「新恩給与」というシステムの機能不全は、御恩と奉公の主従関係を破綻させ、1333年の鎌倉幕府滅亡を引き起こす最大の要因となったのである。

鎌倉幕府御家人制の展開

武家社会の根幹を成す御家人制の変遷を丹念に紐解き、幕府支配の構造的特質を論理的に解明した必読の研究書。

鎌倉幕府はなぜ滅びたのか (543) (歴史文化ライブラリー 543)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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