「元始,女性は実に太陽であった」
【概説】
平塚らいてうが1911年(明治44年)に創刊された女性の文芸誌『青鞜』の創刊号に寄せた創刊の辞の冒頭を飾る言葉。
かつての女性は自ら輝く太陽であったが、現在は他者に依存する月になってしまったと嘆き、抑圧された女性の自我の覚醒と解放を高らかに訴えた。
良妻賢母のイデオロギーと『青鞜』の創刊
明治末期から大正時代にかけての日本社会では、国家を支える家族制度のもとで「良妻賢母」が女性の絶対的な理想像として掲げられていた。当時の女性は、治安警察法第5条によって政治集会への参加を禁じられるなど、社会的・政治的な権利が厳しく制限されており、家父長制のもとで男性に従属する存在に甘んじていた。
こうした息苦しい状況下で、1911年(明治44年)、平塚らいてうを中心に、保持研子や中野初子らによって女性の手による初めての文芸誌『青鞜(せいとう)』が創刊された。与謝野晶子や長谷川時雨らが賛助員として名を連ねたこの雑誌の創刊号において、らいてうが巻頭の辞として執筆したのが「元始、女性は実に太陽であつた」という歴史的な宣言である。
「太陽」と「月」の対比に込められた思想
この宣言のなかでらいてうは、「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」と記した。「太陽」とは、日本の神話における天照大神を暗示しつつも、本来的に備わっていたはずの自律的で主体的な人間のあり方を象徴している。一方で「月」は、家父長制社会の中で自らの光を失い、親や夫といった他者に依存しなければ生きていけない当時の女性の抑圧された姿を痛烈に表現していた。
らいてうは、女性の内部に眠っている天才的・創造的な才能(隠された太陽)を再び目覚めさせよと呼びかけた。これは単なる制度上の男女同権論というよりは、大正時代に隆盛するロマン主義や個人主義の影響を強く受けた、女性の内面的な自我の覚醒を深く求める思想であった。
社会への波紋と「新しい女」の誕生
『青鞜』とこの宣言は、同時代の女性たちに熱狂的に受け入れられ、女性解放の強い起爆剤となった。当初は文芸活動を目的としていた青鞜社であったが、やがて伊藤野枝ら若い世代が合流するにつれ、貞操論争や堕胎論争など、結婚制度や女性の身体、性に関するタブーに踏み込んだ社会問題をも議論の対象とするようになった。
彼女たちは、因襲にとらわれず自己の解放を求める「新しい女」と呼ばれ世間の注目を集めた。しかし、家父長制的道徳に反発するその堂々たる姿勢は、保守的な世論からの激しいバッシングやメディアによる揶揄の対象となり、時には国家権力による雑誌の発禁処分という弾圧を招くことにもなった。
歴史的意義と後世への影響
『青鞜』自体は1916年(大正5年)に休刊となったが、「元始、女性は実に太陽であった」という宣言が放った光は消えることがなかった。らいてうはその後、大正デモクラシーの潮流のなかで、市川房枝らとともに新婦人協会(1920年結成)を立ち上げ、女性の参政権獲得や法的な地位向上を目指す具体的な政治運動へと歩みを進めた。
この言葉は、単なる一文芸誌の創刊の辞という枠を超え、日本におけるフェミニズム(女性解放運動)の出発点を象徴する不朽のスローガンとなった。女性自身の声で自立と尊厳の回復を叫んだこの宣言は、日本の近代思想史および女性史において極めて重要な歴史的意義を持っている。