新婦人協会

1920年、平塚らいてう・市川房枝・奥むめおらが結成し、女性の政治集会参加を禁じた治安警察法第5条の改正を実現させた団体は何か?
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★★★

【参考リンク】
新婦人協会(Wikipedia)

新婦人協会

1920年〜1922年

【概説】
1920(大正9)年に平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらによって設立された日本初の婦人参政権獲得を目指す女性運動団体。大正デモクラシーの潮流のなかで議会への請願運動を展開し、女性の政治集会参加を禁じていた治安警察法第5条の改正などを実現させた。

設立の背景と大正デモクラシー

明治時代に制定された治安警察法(1900年)の第5条は、女性が政党などの政治結社に加入することや、政治集会に参加・発起することを厳しく禁じていた。これにより、日本の女性は政治の表舞台から完全に排除され、国家が求める「良妻賢母」としての役割のみを期待される状況が続いていた。

しかし、第一次世界大戦後になると、欧米における女性参政権獲得の動きが日本にも伝わり、国内でも大正デモクラシーと呼ばれる民主主義的な風潮が高揚した。こうしたなか、かつて文学集団「青鞜社」を率いて女性の自我覚醒を訴えた平塚らいてうは、思想・文芸の領域にとどまらず、女性の政治的・社会的権利を獲得するための具体的な運動の必要性を痛感するようになる。彼女は、愛知県でジャーナリストとして活動していた市川房枝らと意気投合し、新たな婦人運動団体の結成へと乗り出した。

新婦人協会の結成と主要な請願運動

1920(大正9)年3月、平塚らいてう、市川房枝、奥むめおの3名が中心となり、新婦人協会が正式に設立された。機関誌として『女性同盟』を創刊し、全国の女性たちに政治的自覚を促した。本協会は、単なる啓発活動にとどまらず、議会に対する具体的な法改正の請願運動を活動の柱としたことが大きな特徴である。

新婦人協会が掲げた主要な要求は大きく2つあった。第一が、女性の政治的権利の障壁となっていた治安警察法第5条の改正(女性の政党加入権および政治集会への参加権の獲得)である。第二が、「花柳病(性病)男子の結婚制限に関する法案」の制定要求であった。これは、夫から妻への性病感染を防ぐことで女性の人権と母性を保護しようとするものであり、当時の深刻な社会問題に切り込む画期的な主張であった。

治安警察法の一部改正と組織の解散

新婦人協会は、男性議員へのロビー活動や講演会の開催など、粘り強い運動を展開した。当初は冷笑や妨害に遭うことも多かったが、女性たちの熱意は次第に一部の進歩的な議員を動かしていった。その結果、1922(大正11)年の第45議会において、ついに治安警察法第5条2項の改正案が可決された。これにより、女性の政党加入(結社権)は依然として禁止されたままだったものの、女性が政治集会を発起し、参加する自由が法的に認められたのである。これは、日本の女性運動が議会を通じて勝ち取った初の具体的な成果であった。

しかし、運動の最中で組織内部には軋轢も生じていた。運動の方向性や組織運営をめぐって平塚と市川の間に対立が深まり、市川はアメリカへと渡航した。さらに平塚も過労と病気によって運動から一時離脱し、その後は奥むめおらが中心となって活動を維持したが、資金難や組織の弱体化もあり、治安警察法改正を果たした同年の1922年末に新婦人協会は解散を余儀なくされた。

歴史的意義とその後の女性参政権運動

新婦人協会の活動期間はわずか2年余りと短命であったが、近代日本史において果たした歴史的意義は極めて大きい。女性が自らの手で政治的権利を要求し、合法的な議会活動を通じて国家の法律を改正させたという事実は、その後の女性解放運動に絶大な勇気と希望を与えた。

ここで蒔かれた種は決して絶えることなく、帰国した市川房枝らが1924(大正13)年に設立する婦選獲得同盟へと引き継がれていく。新婦人協会が切り開いた道は、昭和期における本格的な婦人参政権運動の強力な基盤となり、やがて第二次世界大戦後の1945年における日本女性の完全な参政権実現へと繋がる重要な出発点となったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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