東京開成学校

大学南校から改称され、のちに東京医学校と合併して東京大学となる洋学の高等教育機関は何か?
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東京開成学校 (とうきょうかいせいがっこう)

1873年〜1877年

【概説】
明治初期に設置された官立の高等教育機関。江戸幕府の開成所の流れを汲む大学南校などが改称・整備されたもので、法学・理学・文学などの高度な専門教育を施した。1877年に東京医学校と合併し、共同で東京大学を創設したことで知られる。

幕末の洋学研究から東京開成学校への変遷

東京開成学校の起源は、江戸幕府が洋学の教授と翻訳のために設立した洋学調所(のちの開成所)にさかのぼる。明治維新後、新政府はこの開成所を接収して再建し、1869年には官立の高等教育機関である「大学」の南校(のちに大学南校)とした。この大学南校が幾度かの制度変遷と改称を経て、1873年(明治6年)に東京開成学校として独立・整備されることとなった。同校では、欧米から招いた多数の「お雇い外国人」が教鞭を執り、講義は主に英語や仏語などの外国語で行われ、最先端の学問が教授された。

東京大学の誕生と近代日本における歴史的意義

1877年(明治10年)4月、東京開成学校は、同じく幕府の医学所を源流とする東京医学校と合併し、日本初の近代的な総合大学である東京大学へと発展を遂げた。この合併により、旧東京開成学校は東京大学の法・理・文の3学部となり、のちの帝国大学、そして現在の東京大学へとつながる基礎が確立した。東京開成学校とその前身機関が育てた人材は、明治政府の進める殖産興業や近代的な法制度・官僚機構の整備において中核的な役割を果たし、日本の近代化を知識と技術の両面から支えることとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 地方の武士たちが、一族の血縁関係や主従関係を基盤として、戦いや領地防衛のために結成した武装集団を何というか。
Q. 長谷川等伯とその一門が京都の寺院に描いた、『楓図』や『桜図』などの金碧濃彩の壮大な障壁画(襖絵)を何というか?
Q. 地引き網によるイワシ漁が盛んに行われ、干鰯(肥料)の大産地となった上総国の海岸はどこか。