婦女人相十品 (ふじょにんそうじっぽん)
【概説】
江戸時代中期の浮世絵師・喜多川歌麿による、美人画の代表的な連作。さまざまな階層や性格の女性の上半身をクローズアップし、人相学(観相学)の見地からその内面心理まで描き分けた、美人大首絵の先駆的作品である。
美人大首絵の誕生と内面描写への挑戦
江戸時代中期、浮世絵の黄金期を築いた喜多川歌麿は、それまで全身像が主流であった美人画の領域において、人物の顔や上半身を大きくクローズアップして描く「大首絵(おおくびえ)」という画期的な手法を確立した。その最初期の記念碑的シリーズが、寛政4〜5(1792〜93)年頃に版元・蔦屋重三郎から出版された『婦女人相十品』である。
本作の最大の特徴は、単に美しい女性の外見を描くだけでなく、当時流行していた「人相学」をモチーフに、女性の社会的階層、年齢、そして内面の心理や性格までも描き分けようとした点にある。現存する作品には、ビードロを吹く無邪気な町娘を描いた「ポッピンを吹く娘」や、物憂げな表情で手紙を見つめる「読書する女」などがあり、歌麿の卓越した観察眼と素描力が、女性たちの微妙な感情の揺れ動きを見事に捉えている。また、背景に雲母摺り(きらすり)という、鉱物の雲母の粉末を施してキラキラと輝かせる技法を用いることで、人物の立体感と存在感を際立たせることにも成功した。
寛政の改革による出版統制と芸術的昇華
『婦女人相十品』が制作された時代は、老中・松平定信が進める寛政の改革の真っ只中であった。この改革では、風紀の取り締まりや奢侈(ぜいたく)の禁止が徹底され、浮世絵をはじめとする出版物に対しても厳しい検閲と統制が敷かれた。特に、実在する遊女や江戸の有名美人の名前を絵の中に直接書き込むことが禁止されたことは、美人絵師たちにとって大きな打撃となった。
このような表現の自由が制限される逆境の中で、歌麿とプロデューサーである蔦屋重三郎は、「実在の特定の個人」を描くのではなく、「普遍的な女性のタイプや感情」を人相学に見立てて描くという知的なカモフラージュを用いた。つまり、『婦女人相十品』は、幕府の厳しい目をすり抜けつつ、美人画の芸術的価値を単なる「ブロマイド」から「人間心理の探求」へと昇華させるための、歌麿たちによる巧みな対抗策であった。のちにこのシリーズは『婦人相学十躰』と改題され、さらなる進化を遂げることとなるが、その出発点となった本作は、江戸の町人文化のレジリエンス(強靭さ)を象徴する傑作として日本美術史に深く刻まれている。