四国八十八カ所 (しこくはちじゅうはっかしょ)
【概説】
弘法大師(空海)にゆかりのある四国各地の88カ所の霊場(札所)を巡り歩く巡礼。一般に「お遍路」と呼ばれ、江戸時代に庶民の旅として爆発的に普及した。四国4県をそれぞれ「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の道場に見立てて1番から88番までの札所を巡る、日本を代表する宗教文化の一つである。
弘法大師信仰の広がりと巡礼の起源
四国八十八カ所の起源は、平安時代初期の僧であり真言宗の開祖である空海(弘法大師)が、若き日に四国の峻険な山野で行った修行にまで遡る。空海が入定(死去)した後、その足跡を追って四国の「辺地(へち)」と呼ばれる海岸線や山岳を巡礼する修行僧が現れ始めた。これが「遍路」の語源とされる。
中世に入ると、高野山を拠点に全国を勧進して回った高野聖(こうやひじり)などの道俗によって弘法大師信仰が全国の庶民に浸透していった。修行僧だけでなく、現世利益や病気平癒、死者追善を願う一般の巡礼者も四国を目指すようになり、徐々に霊場の数が88カ所へと固定化されていったと考えられている。
江戸時代におけるお遍路の庶民化と『四国遍路道指南』
四国遍路が今日のような一般的な巡礼ルートとして定着したのは、江戸時代中期のことである。江戸幕府は関所を設けて庶民の旅行を厳しく制限したが、社寺参詣を目的とした旅は例外として容認した。これにより、伊勢参りや富士講などと並んで、四国遍路も一世を風靡することとなった。
この庶民化の決定的な契機となったのが、貞享4年(1687年)に僧の真念(しんねん)が著した『四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)』の出版である。この書物は、1番札所から88番札所までの道程や寺社の由来、宿屋の位置などを克明に記した、実用的な「旅行ガイドブック」であった。本書の普及により、道に迷う危険性が激減し、特別な修行を積んでいない一般の農民や町人、さらには女性や病人までもが遍路に旅立つことが可能になった。
「同行二人」の精神と旅を支えた「接待」の文化
四国遍路を支えた宗教的思想に「同行二人(どうぎょうににん)」がある。これは、遍路者が一人で旅をしていても、常に傍らには弘法大師が共におり、苦楽を共にしながら見守ってくれているという信仰である。この精神は遍路者自身の心の支えとなっただけでなく、受け入れる四国の地域社会の側にも大きな影響を与えた。
四国の住民は、遍路にやってくる人々を「弘法大師の化身」あるいは「大師の代理」として手厚くもてなした。これが「接待(おせったい)」と呼ばれる独特の習慣である。地元の住民は、見ず知らずの遍路者に対して、食べ物や飲み物、草履、時には無償の宿を提供した。この相互扶助のシステムがあったからこそ、過酷な四国の道中を多くの庶民が乗り越えることができた。江戸時代の四国遍路は、たんなる個人の信仰心を満たすだけでなく、旅を媒介とした地域社会との温かい交流の場でもあったのである。