呉服

幕末の物価高騰を防ぐため、幕府が江戸の問屋を必ず経由させるよう命じた5品目のうち、反物などの衣類を指す言葉は何か?
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呉服

【概説】
江戸時代における絹織物や反物などの高級衣料品の総称。幕末の開港に伴う国内の流通混乱と物価高騰を抑えるため、幕府が発令した「五品江戸廻送令」の指定5品目の一つ。

絹織物としての「呉服」と江戸の消費社会

「呉服」とは、古代に中国の「呉」から伝来した織物技術、およびそれによって作られた絹織物に由来する言葉である。江戸時代においては、麻や綿で作られた一般庶民向けの衣料である「太物(ふともも)」に対し、絹織物や仕立物といった高級衣料品を指す言葉として定着した。

江戸中期以降、町人経済の発展にともなって高級衣料の需要が急増すると、京都の西陣などで生産された絹織物が、江戸の巨大な消費市場へと流入するようになった。この流通を支えたのが「呉服店」であり、なかでも三井越後屋(のちの三越)が導入した「店前現銀掛値なし(たなざきげんぎんかけねなし)」という画期的な小売商法は、それまでのツケ払いを排して誰もが安価に呉服を購入できるようにし、江戸の商業文化と消費社会を大きく変貌させた。

幕末の開国と「五品江戸廻送令」の指定

1858年の日米修好通商条約締結にともない、翌1859年に神奈川(横浜)などの港が開港すると、日本の流通システムは激変した。特に生糸や雑穀などの国内物資が輸出のために横浜へ集中し、江戸への供給が激減したため、江戸市中では極端な品不足と物価高騰が発生した。また、これによって江戸の株仲間(特権問屋)を通さない直接取引が増加し、従来の幕藩体制的な流通秩序が脅かされる事態となった。

この危機に対し、江戸幕府は1860年(万延元年)に五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)を発令した。これは、特に輸出影響の大きかった「雑穀・水油・蝋(ろう)・呉服・生糸」の5品目を指定し、これらを横浜へ送る際には、必ず一度江戸の問屋を経由させることを義務付けた法令である。呉服がこれに指定された背景には、原料である生糸が大量に輸出されることで、京都の西陣や関東の桐生などの絹織物業地が原料不足に陥り、呉服の生産や江戸への供給が滞るのを防ぐ目的があった。

法令の挫折と幕藩体制の動揺

五品江戸廻送令は、江戸の問屋の特権を守り、幕府の統制力を回復させるための強硬策であった。しかし、安価な海外製品の流入や生糸の輸出で莫大な利益を得ていた地方の在郷商人や、財政難から密貿易や直売を推進したい諸藩(特に西南雄藩など)は、この命令を事実上黙殺した。また、自由貿易を求めるイギリスなどの外国公使からも強い抗議を受けることとなった。

結果として、五品江戸廻送令は十分な効果を上げることができず、呉服をはじめとする指定品目の直輸出は止まらなかった。この法令の挫折は、幕府が国内の流通支配権を喪失したことを露呈させ、幕藩体制の崩壊をいっそう加速させる歴史的契機となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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Q. 磐井の乱の鎮圧後、磐井の息子の葛子(くずこ)が死罪を免れる代償として、ヤマト政権に献上した直轄領(屯倉)はどこか?
Q. 日明貿易や南蛮貿易で輸入された、生糸を加工して作られた需要の高い高級な布地を総称して何というか?
Q. 1860年、日米修好通商条約の批准書を交換するために幕府がアメリカに派遣した使節団において、正使を務めた人物は誰か?