本多利明

高校日本史的重要度
★★

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本多利明 (ほんだとしあき)

1743年〜1821年

【概説】
江戸時代後期の経世家、和算家、天文学者。西洋の科学や地理的知見に基づき、『経世秘策』や『西域物語』などの著作を通じて、海外貿易による富国や蝦夷地の開発・領有をいち早く主張した人物。従来の農本主義的な幕藩体制の限界を見抜き、開国と重商主義的な国家運営を提唱した先駆者として知られる。

西洋科学への傾倒と独自の「重商主義」思想

本多利明は越後国(現・新潟県)に生まれ、江戸に出て和算(数学)や天文学、地理学を学んだ。私塾を開いて門下生の育成にあたる一方、世界地図や西洋の学術書に触れる中で、西洋諸国が世界に進出し、強大な富を築いている背景を冷静に分析した。利明がたどり着いた結論は、西洋の強さは「航海術」と「海外貿易」にあるという点であった。

当時、江戸幕府は幕藩体制のもと、商業を二の次とする農本主義的な政策を維持していたが、利明はこれを狭い国内での富の奪い合いにすぎないと批判した。彼は、国家自らが巨大な商船を建造して海外から富を呼び込むべきだとする、ヨーロッパの絶対主義時代に類似した「国家重商主義」を提唱し、日本が目指すべき進路として鎖国から開国・通商への転換を強く訴えたのである。

蝦夷地開拓の提唱と領土的野心

18世紀末、ロシアのラクスマン来航などを契機に対外緊張が高まる中、利明は早くから蝦夷地(現・北海道、サハリン、千島列島など)の戦略的重要性に着目していた。彼は門下である最上徳内を蝦夷地探検に送り出すなどして、現地の実情を把握することに努めた。

利明は主著『経世秘策』や『西域物語』において、蝦夷地を幕府直轄地として大規模に開拓し、さらにはサハリンやカムチャツカまでも領有すべきだと主張した。これを放置すればロシアに奪われるという安全保障上の危機感に加え、未開の地を開拓して農業や鉱業を興し、交易の拠点とすることで、日本を北半球の覇権国家(イギリスのような海洋帝国)へと発展させるという雄大なビジョンを描いていた。彼のこうした思想は、のちに江戸幕府が蝦夷地を直轄化し、北方防備と開拓を本格化させる政策の重要な知的伏線となった。

最終更新:
2026年7月21日 @ 14:41

日本史一問一答(ランダム)

Q. 軍記物語の最も初期の作品で、東国で反乱を起こして新皇と名乗った武将の生涯を漢文体で記した書物は何か。
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