ディアナ号 (でぃあなごう)
1811年
【概説】
ロシア帝国海軍の軍艦。1811年に千島列島周辺の調査・測量中に国後島へ寄港し、艦長ゴローウニンが松前藩に捕縛される「ゴローウニン事件」の舞台となった。
千島測量と国後島での捕縛劇
19世紀初頭、極東地域への進出を進めていたロシア帝国は、北方海域の正確な地図製作を必要としていた。1811年、海軍中佐ゴローウニン(ゴロヴニーン)が艦長を務めるディアナ号は、千島列島およびサハリン(樺太)周辺海域の調査・測量に従事していた。しかし、当時の日露関係は、ロシア使節レザノフの通商要求拒絶に端を発したロシア船による北方襲撃事件(文化露寇)により、極めて緊張していた。水や食料の補給のために国後島に寄港したディアナ号に対し、幕府の警備兵は砲撃を加え、上陸したゴローウニンら乗組員を捕縛した。
日露の危機回避と高田屋嘉兵衛の仲介
艦長を拘束されたディアナ号は、副艦長リコルドの指揮のもとで一度オホーツクへ帰還した。翌1812年、リコルドはゴローウニンらの奪還を目指して再び日本近海へ来航し、淡路出身の幕府御用達商人である高田屋嘉兵衛を拿捕・抑留した。抑留中に日露双方の事情を理解した嘉兵衛は、ロシア側の非公式な襲撃(文化露寇)がロシア皇帝の意図によるものではないという釈明書を幕府へ提出するようリコルドに助言。嘉兵衛の命がけの仲介とリコルドの交渉努力により幕府の誤解は解け、1813年にゴローウニンらは無事釈放された。ディアナ号をめぐる一連の事件は、緊迫していた日露関係を一時的に安定へと導く重要な契機となった。