後藤庄三郎

家康の命を受けて金座を管理し、代々金貨の鋳造と鑑定を管轄した御用商人は誰か。
カテゴリ:
重要度
★★

後藤庄三郎 (ごとうしょうざぶろう)

1571年〜1625年

【概説】
江戸初期に徳川家康に仕え、金貨の鋳造と鑑定を担う「金座」を支配した御用商人。
本姓は橋本で、京都の名門彫金工である後藤四郎兵衛家の門人から抜擢され、初代の後藤庄三郎光次以降、代々その名跡と権限を世襲した。
幕府の貨幣制度の確立において、実務・技術の両面から極めて重要な役割を果たした人物である。

徳川家康の信任と金座の創設

初代後藤庄三郎(光次)は、もとは京都の彫金工の名門であり、室町幕府以来の御用達であった後藤四郎兵衛家(後藤本家)の門人であった。優れた技術と政治的才覚を見出されて本家の養女を娶り、後藤姓を名乗ることを許された。織田信長や豊臣秀吉も後藤家に貨幣(大判)の鋳造を命じていたが、徳川家康は関東を領有した段階から光次を重用し、自らの領国内で流通させる独自貨幣の鋳造を行わせた。

関ヶ原の戦いに勝利した家康が全国規模の貨幣統一に乗り出すと、光次は慶長6年(1601年)に創設された金座(きんざ)の頭役に任じられた。光次は京都から江戸へと下り、現在の日本銀行本店がある場所に金座を構え、統一金貨である慶長小判や一分金の鋳造を本格化させた。これにより、全国一律の価値を持つ貨幣の流通が実現し、徳川政権の経済的基礎が固められることとなった。

金貨鋳造の世襲と幕府貨幣制度における役割

後藤庄三郎家は、金座における金貨鋳造の請負権や、金貨の品質を保証する鑑定(極め)の特権を世襲で独占した。金座は、幕府の直接の役所ではなく、後藤庄三郎家が自己の責任で職人を雇って金貨を製造し、手数料を得るという「請負事業」の形態をとっていた。そのため、庄三郎家は幕府の強力な保護のもとで莫大な富を蓄え、江戸時代を通じて最大の政商の一つとして君臨した。

また、庄三郎家は単なる技術職人にとどまらず、金地金の買い入れや海外流出の管理など、幕府の金融政策全般に深く関与した。後藤庄三郎の存在は、高度な職人技術の伝統と幕府の権力が結びつくことで、江戸時代の安定的かつ組織的な貨幣システム(三貨制度)が維持されていたことを示す象徴的な例である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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Q. 鎌倉の南に面する海岸で、御家人が笠懸などの武芸の訓練を行い、鎌倉幕府滅亡の際には激戦地ともなった場所はどこか?
Q. 縦縞模様を特徴とし、袴などに用いられた豊前国小倉地方で生産された丈夫な綿織物は何か。
Q. 京都から源頼朝に平氏の動向などを伝え、のちに幕府の裁判機関である問注所の長官(執事)に迎えられた人物は誰か?