漁労
【概説】
網や釣り針、銛(もり)などを用いて、海や川で魚介類を捕獲する生業のこと。縄文時代において、気候の温暖化に伴う自然環境の変化を背景に飛躍的に発達し、狩猟や植物採集と並んで人々の定住生活を支える重要な食料獲得手段となった。
気候変動と漁労の発達
更新世から完新世への移行に伴い、地球規模で温暖化が進行した。氷河が融解して海面が上昇する縄文海進が発生し、日本列島は大陸から完全に切り離されて現在の島国としての姿となった。この海面上昇により、列島各地には入り組んだリアス式海岸や遠浅で波の穏やかな内湾が形成された。暖流と寒流が交わる豊かな海洋環境は多様な魚介類を育み、人々が海や川の資源を積極的に利用する「漁労」が飛躍的に発達する自然環境的土壌となったのである。
漁労具の進化と高度な捕獲技術
縄文時代の漁労は、獲物の種類や生息環境に合わせて多様な道具と技術が用いられた。動物の骨や角、牙を加工した骨角器が盛んに作られ、精巧な釣針をはじめ、突き刺した獲物を逃さないようにカエシのついた銛(もり)やヤスが実用化された。また、植物の繊維を編んだ漁網も広く使用されており、網の錘(おもり)として用いられた石錘(せきすい)や土錘(どすい)が遺跡から多数出土している。これにより、沿岸部での地引き網などを用いた魚群の一網打尽が可能となり、食料獲得の効率が劇的に向上した。
丸木舟の利用と沖合漁業への展開
漁労の発達は沿岸部や内水面にとどまらず、外洋へと活動範囲を広げていった。巨木を火や石斧を用いてくり抜いた丸木舟と櫂(かい)が発明され、人々は積極的に海へ乗り出した。全国各地の遺跡からは、丸木舟を用いて沖合に漕ぎ出し、カツオやマグロ、サメなどの大型回遊魚や、クジラやイルカといった海獣類を捕獲していた痕跡が確認されている。このような外洋航海技術と大型漁労の実践は、単なる食料獲得の枠を超え、伊豆諸島の神津島産の黒曜石や糸魚川産のヒスイなどを広域に運ぶ海上交易ネットワークの形成にも大きく寄与した。
貝塚の形成と定住社会への寄与
漁労活動の中でも、老若男女を問わず安定して行えたのが貝類の採集(採貝)である。波の穏やかな内湾ではハマグリやアサリ、河口付近の汽水域ではヤマトシジミなどの採集が盛んに行われた。人々が食べた貝殻や動物の骨、不要になった生活用具などを廃棄した場所は貝塚と呼ばれ、アメリカの動物学者モースによって発掘された大森貝塚をはじめ、全国に数千箇所が残されている。貝塚は当時の食生活や環境を復元するタイムカプセルであると同時に、特定の場所に長期間にわたってゴミを捨てるという「定住の証」でもある。捕獲した魚介類は乾燥や燻製などによって保存食として加工・備蓄され、年間を通じた食料の安定供給を可能にした。この漁労による豊かな食料事情こそが、日本列島において農耕に依存せずして世界的に見ても極めて早期に高度な定住生活を実現させた最大の要因である。