六諭衍義大意 (りくゆうえんぎたいい)
【概説】
江戸幕府の8代将軍徳川吉宗の命により、儒学者の室鳩巣が翻訳・解説した民衆向けの道徳書。中国・明代の庶民教化書『六諭衍義』を和訳したもので、享保の改革における教化政策の一環として位置づけられる。のちに寺子屋の教科書(往来物)として広く普及し、近世日本の庶民道徳の形成に決定的な影響を与えた。
琉球から江戸幕府へ――書物の伝来と室鳩巣による翻訳
『六諭衍義大意』の祖本となった『六諭』とは、明の太祖である洪武帝が洪武27(1394)年に発布した、民衆が守るべき6つの基本的な徳目(孝順父母・尊敬長上・和睦郷里・教訓子孫・各安生理・毋作非為)のことである。これを清代の范鋐(はんこう)が平易な物語などを交えて解説した注釈書が『六諭衍義』であった。
この書物は、琉球の儒学者である程順則(名護親方)が中国(清)の福州で自費出版して琉球に持ち帰り、それが薩摩藩主の島津吉貴を通じて将軍徳川吉宗に献上された。吉宗はこれを目にすると、民衆教化にきわめて有用であると判断し、お抱えの朱子学者であった室鳩巣(むろきゅうそう)に翻訳と解説を命じた。こうして享保6(1721)年、平仮名交じりの平易な日本語に訳された『六諭衍義大意』が完成したのである。
享保の改革における庶民教化政策
徳川吉宗が進めた享保の改革は、単なる財政再建にとどまらず、社会の弛緩を防ぎ秩序を維持するための「文教政策」や「風紀取締」をも含んでいた。吉宗は、幕藩体制の安定には民衆が自発的に儒教的道徳(孝行、従順、勤勉など)を遵守することが不可欠であると考えた。
そのため、幕府は完成した『六諭衍義大意』を板行(印刷)し、江戸の町名主や地方の代官、さらには諸藩へと配布した。役人を通じて庶民に読み聞かせを行うなど、国家規模での道徳教化キャンペーンが展開された。これは、それまで武士階級の学問であった儒教(朱子学)の道徳観を、初めて本格的に農民や町人などの一般庶民に向けて引き下ろした画期的な試みであった。
寺子屋での普及と近代日本の道徳観への遺産
当初は官許の教科書として配布された『六諭衍義大意』であったが、18世紀後半以降、民間でも盛んに出版されるようになった。特に、全国で急増しつつあった寺子屋において、読み書きの教科書(往来物)として爆発的に普及した。
子どもたちは本書を書き写し、音読することを通じて、文字の読み書きと同時に「親に孝行すること」「年長者を敬うこと」「職業に励むこと」といった封建社会の道徳観を自然と身につけていった。この『六諭衍義大意』の普及こそが、日本における高い識字率と、勤勉で規律正しい庶民社会を形成する基盤となった。その精神的影響は、近代の「教育勅語」における徳目にも受け継がれていくこととなる。