女大学

貝原益軒の著とされ、当時の女子が身につけるべき道徳や心得(三従の教など)を平易に説いた教訓書は何か。
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重要度
★★

女大学 (おんなだいがく)

1716年刊

【概説】
江戸時代中期に普及した、女子に対する道徳や日常生活の心得を平易に説いた代表的な教訓書。儒教的な家父長制秩序に基づき、女性が守るべき規範を体系化した往来物(教科書)である。

『女大学』の成立と著者問題

『女大学』は長らく、江戸時代前期の著名な儒学者・博学者である貝原益軒(かいばらえきけん)の著書として広く知られてきた。しかし近年の歴史学・文学の研究においては、益軒が著した先駆的な児童教育書『和俗童子訓』の巻五「女子を教ゆる法」をベースに、後世の書肆(出版社)や編者が通俗化・簡略化し、1716年(享保元年)頃に『女大学宝箱』などの書名で出版したものと解されている。益軒自身の直接の執筆ではないものの、彼の儒教的・合理主義的な教育思想が、当時の町人文化の興隆や出版メディアの発達によって大衆化された好例といえる。

「三従の教」と儒教的女子道徳

本書が説く女性規範の根底には、徹底した家父長制の論理が存在する。その象徴が「三従の教(さんじゅうのおしえ)」であり、女性は「幼いときは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」べきであるとされた。また、夫の両親への絶対服従、従順や貞節の重視、贅沢の禁止、家事への専念などが細かく規定されている。さらに、妻を一方的に離縁できる条件として「親に従わない」「子が生まれない」「嫉妬深い」など七つの理由を挙げた「七去(しちきょ)」の教えも盛り込まれており、女性を家を存続させるための道具として位置づける、厳しい男尊女卑の観念が示されている。

庶民層への普及と近代「良妻賢母」への繋がり

江戸中期以降、寺子屋の普及に伴って庶民の識字率が向上すると、本書は女子用往来物の代表格として、武家のみならず裕福な農民・町人層の女子教育に広く用いられた。これには、幕府が朱子学的な道徳を推奨し、社会秩序の安定を図った背景がある。明治時代に入ると、福沢諭吉が『女大学評論』を著して本書の男尊女卑観念を激しく批判したものの、その教育規範の一部は形を変えて近代の「良妻賢母」思想へと継承された。このように、『女大学』は日本のジェンダー史や教育史を考える上で、きわめて重要な史料となっている。

和俗童子訓【現代語訳】

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江戸の女たちの月華考: 川柳に描かれた褻の文化を探る

江戸時代の川柳から読み解く、当時の女性たちが送った日々の暮らしや美意識、そして庶民のたくましい生活様式が浮かび上がる一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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