朝鮮人の徴用

戦局の悪化に伴う国内の労働力不足を補うため、1939年以降、日本の植民地であった朝鮮半島の人々を日本の炭鉱などに動員して働かせた政策を何というか?
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朝鮮人の徴用

1939年〜1945年

【概説】
アジア太平洋戦争の激化に伴う深刻な労働力不足を補うため、日本の植民地であった朝鮮半島の人々を、日本内地や外地の炭鉱、軍需工場などに動員し強制的に労働させた政策。1939年の「募集」に始まり、「官斡旋」、そして1944年からの「徴用」へと段階的に強制力を強めて実施された。過酷な労働環境と民族的差別を伴い、戦後も日韓間の歴史認識をめぐる重大な問題として残されている。

深刻化する労働力不足と動員計画

1937年に勃発した日中戦争が長期化する中、日本政府は1938年に国家総動員法を制定し、国家の全力を挙げて人的・物的資源を統制する体制を構築した。翌1939年には国民徴用令が公布され、日本国内の労働者が軍需産業へ優先的に動員された。しかし、健康な壮年男子の多くが戦地へと召集されたため、国内の炭鉱、金属鉱山、土木建築、軍需工場といった部門では慢性的な労働力不足が深刻化した。日本政府はこの穴を埋めるため、当時は日本の植民地であった朝鮮半島からの労働力移入を決定し、大規模な動員計画を推し進めた。

動員の三段階(募集・官斡旋・徴用)

朝鮮人の動員は、戦況の悪化とともに法的強制力を強めながら、大きく三つの段階を踏んで展開された。第一段階は1939年秋に始まった「募集」である。これは民間企業が朝鮮に赴き労働者を集める形式をとったが、甘い言葉による欺瞞的な勧誘が横行した。第二段階は1942年からの「官斡旋(かんあっせん)」であり、朝鮮総督府の行政機関が直接介入し、地域ごとにノルマを割り当てて労働者の供出を強要するようになった。

そして第三段階が、1944年9月から全面適用された「国民徴用令による徴用」である。これにより、令状である徴用令書による法的な強制動員が合法化され、拒否すれば処罰の対象となった。形式や名目は異なれど、これらの全期間を通じて本人の自由意志を無視した物理的・心理的な強制が伴っており、今日では「強制連行」や「強制動員」と総称されている。

過酷な労働実態と民族差別

動員された朝鮮人は、日本各地の炭鉱や鉱山、港湾、土木工事現場、軍需工場などに配置された。とりわけ炭鉱や鉱山では、日本人労働者が敬遠する落盤や爆発の危険性が高い坑内労働などの最前線に回されることが多かった。彼らは周囲を塀に囲まれたタコ部屋などの粗悪な宿舎に集団収容され、長時間の過重な肉体労働を強いられた。

さらに現場では、日常的な暴力や暴言、粗悪な食事といった深刻な民族差別と人権侵害が蔓延していた。賃金の未払いや、逃亡を防ぐための強制的な天引き貯金も常態化していた。耐えかねて逃亡を企てる者も少なくなかったが、捕まれば警察や会社側から過酷な制裁が加えられるのが常であった。

戦後補償問題と「元徴用工」訴訟

1945年8月の敗戦後、多くの朝鮮人労働者が解放されて故郷へと帰還したが、未払い賃金や強制貯金が清算されることはほとんどなかった。この戦後補償の問題は、1965年に締結された日韓基本条約および日韓請求権・経済協力協定において、国と国との間では法的に「完全かつ最終的に解決された」と日本政府は主張している。

しかし、植民地支配そのものの不法性をめぐる日韓の歴史認識のズレは根深く、個人の損害賠償請求権が消滅したか否かについては長年議論が続いている。2018年には韓国の大法院(最高裁判所)が日本企業に対して元徴用工らへの賠償を命じる判決を下しており、現代の日韓関係を大きく揺るがす深刻な政治・外交問題となっている。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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