土錘 (縄文時代)
【概説】
縄文時代の漁撈(ぎょろう)活動において、網を水中に沈めるための重り(沈子)として用いられた粘土製の道具。粘土を円筒形や紡錘形に成形して焼き固め、網に取り付けるための溝や穴が施されているのが特徴である。水産資源を効率的かつ大量に獲得する網漁の普及を示す、考古学上極めて重要な資料の一つ。
縄文人の生業革新と網漁の導入
縄文時代は、それまでの旧石器時代の移動狩猟生活から、定住的な採集・狩猟・漁撈生活へと移行した時代である。特に、氷河期の終わりに伴う温暖化によって日本列島周辺に豊かな暖流・寒流が流れ込み、内湾(入江)が形成されたことは、漁撈活動を劇的に発達させた。その中で登場したのが、網漁(あみりょう)である。
網漁は、一本釣り(釣針)や突き突き漁(銛や魚叉)といった個人の技術に依存する個別的な漁法とは異なり、一度に大量の魚類を捕獲することを可能にした。この網漁に不可欠な道具が、網の下部に取り付けて沈下させるための重り(沈子)であり、その代表例が粘土を焼成して作られた土錘である。土錘の出現は、縄文人が集団的かつ計画的な共同作業による漁撈活動を行っていたことの動かぬ証拠となっている。
土錘の構造と「石錘」との違い
土錘の形状には、円筒形の中央に紐を通す穴を開けた「管状土錘」や、紡錘形・楕円形の側面に溝を巡らせた「有溝土錘(ゆうこうどすい)」などがある。これらは植物の繊維などで編まれた網の裾に取り付けられた。
網の重りとしては、土錘のほかに自然石の周囲に溝を彫り込んだり両端を欠いたりした石錘(せきすい)も併用された。石錘が身近な河原の石などを加工して比較的容易に作れるのに対し、土錘は粘土の成形と焼き上げという手間を要する。それにもかかわらず土錘が作られた背景には、規格化された均質な重りを作ることで、網の沈下バランスを一定に保ち、網が絡まるのを防ぐという機能的な要求があったと考えられている。特に泥深い内湾や河口部では、根がかり(障害物に引っかかること)を防ぐため、滑らかな形状に調整しやすい土錘が好まれた。
地域性と時代的展開
土錘は日本列島全域から出土するが、その分布や使用頻度には地域的な偏りが見られる。例えば、関東地方の貝塚(加曽利貝塚など)をはじめとする東日本の汽水域(淡水と海水が混ざり合う水域)や、内湾を控えた地域において集中的に出土する傾向がある。これは、スズキやボラ、コノシロといった、浅瀬や汽水域に群れる魚を網で一網打尽にする漁法が定着していたためと考えられている。
この土錘を用いた網漁の技術は、縄文時代から弥生時代、さらには古墳時代へと継承されていく。弥生時代に入ると、稲作農耕が社会の基盤となるが、生業としての漁撈も途絶えることはなく、むしろ水田稲作と並行して、河川や水路、周辺の海における網漁が活発に行われた。その過程で、土錘はより平坦で量産に適した形状へと変化し、やがて金属器(鉛など)の普及に伴ってその役割を譲っていくことになるが、古代日本における持続可能な資源利用のあり方を示す指標として、土錘は今なお強い歴史的意義を放っている。