新潟奉行 (にいがたぶぎょう)
1843年〜1868年
【概説】
天保14年(1843年)に江戸幕府によって設置された遠国奉行。日本海側の防備や密貿易の監視、そして後に開港場となった越後国新潟の行政や外交実務を担った職制である。
天保の改革と新潟奉行の新設背景
新潟奉行が新設された天保14年(1843年)は、老中水野忠邦による天保の改革の時期にあたる。当時、アヘン戦争などの影響から対外的な緊張が高まっており、日本海沿岸の防備強化が急務であった。また、北前船の寄港地として栄えていた新潟は、薩摩藩をはじめとする諸藩の密貿易(抜け荷)の拠点とも目されていた。そこで幕府は、新潟町とその周辺を長岡藩領から没収して幕府直轄領(天領)とし、監視と防衛を強化するために新潟奉行を設置した。初代奉行には、沿岸防備に定評のあった川村修明が任じられた。
開港予定地への指定と幕末の推移
安政5年(1858年)に調印された日米修好通商条約において、新潟は神奈川、兵庫、長崎、箱館(函館)と並ぶ開港5港の一つに指定された。これにより新潟奉行は、従来の密貿易監視や沿岸防備に加え、外国人居留地の選定や外交交渉といった近代的な実務も担うこととなった。しかし、信濃川河口の土砂堆積による水深不足という港湾上の欠点や、幕末の政情不安が重なり、実際の開港は延期され続けた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争(新潟の戦い)で奉行所が消滅したため、新潟が実際に開港したのは明治政府下の上原巳一郎知事の時代(1868年11月)のことであった。