与力・同心 (よりき・どうしん)
【概説】
江戸時代の町奉行や遠国奉行などの地方官、あるいは火付盗賊改などの配下に配属され、警察・司法・行政の実務を担った下級役人の総称。将軍の直臣である御家人身分の「与力」と、その下で実働部隊として働いた「同心」から構成される、幕府支配の末端を支えた実務官僚集団。
与力と同心の身分格差と組織構造
与力と同心は、いずれも江戸幕府の御家人(将軍に直接謁見できない「お目見得以下」の身分)に属していたが、その間には厳然とした身分格差が存在していた。与力は同心の上位に位置し、戦時には騎馬で従軍する資格を持つ格の高い身分であった。彼らは知行(領地)または高米(俸禄)を与えられ、実質的に複数の同心を指揮する立場にあった。一方、同心は与力の支配下にあって徒歩で勤務し、俸禄は扶持米(現米)で支給される下級の歩行(かち)身分であった。
江戸の治安維持を担当した町奉行所(南北)には、それぞれ与力25騎、同心120人前後が配属されていた。彼らは職住接近のために江戸の八丁堀(現在の東京都中央区八丁堀付近)にまとまって居住地を与えられており、江戸の庶民からは親しみと畏怖を込めて「八丁堀の旦那」と呼ばれていた。
多岐にわたる職務と「岡っ引」の使役
与力・同心の職務は、現代の警察官のような治安維持(町方の巡回や犯人逮捕)にとどまらず、民事・刑事裁判の処理、税金の徴収、都市計画、市場の監視など、地方行政全般にわたる多忙なものであった。少人数の同心だけで巨大都市江戸の治安と行政を維持することは困難であったため、彼らは「岡っ引(目明し)」と呼ばれる非公認の私的協力者を雇い、その配下の「下っ引」とともに情報収集や捜査の実務に当たらせた。こうした捜査網が、江戸の極めて高い治安水準を維持する原動力となっていた。
また、与力・同心は江戸の町奉行所だけでなく、京都町奉行や大坂町奉行、駿府町奉行などの遠国奉行、さらには放火や強盗を取り締まる臨時職である火付盗賊改の配下にも組織され、各地の幕領における実務を担っていた。
幕政における実質的支配力と世襲制
与力・同心の職務は事実上の世襲制であり、専門的な実務能力や過去の判例(前例)に関する知識は家伝として代々受け継がれた。彼らの上司である町奉行(旗本身分)は、数年で交代するキャリア官僚であり、都市行政の実務や前例に疎いことが多かった。そのため、実際の取り調べや裁判の文面作成などは代々の与力・同心が主導し、奉行は彼らの上げたお墨付きに署名するだけということも珍しくなかった。このため、世間では「八百八町は与力同心で持つ」と囁かれ、彼らは実質的に江戸の行政・司法権力を握る存在として君臨した。
しかし、江戸後期になると世襲制度の弊害も現れた。与力や同心の身分(株)が金銭で売買される「御家人株」の取引対象となり、富裕な商人の子弟などが資金力に任せて同心株を買い取り、役人へ登用される事例が相次いだ。これにより、実務能力の低下や、商人との癒着といった倫理的な問題も生じることとなった。