屈葬

重要度
★★★

屈葬 (くっそう)

紀元前14000年頃〜紀元前10世紀頃

【概説】
縄文時代において一般的な埋葬方法であった、死者の手足を強く折り曲げて土坑に埋葬する風習。死者の霊がさまよい出て生者に災いをもたらすことを防ぐという、呪術的な意味合いがあったと考えられている。弥生時代以降に普及する伸葬(しんそう)と対比され、古代人の死生観の変遷を知る上で極めて重要な歴史的事象である。

屈葬の多様な形態と特徴

縄文時代の遺跡から出土する人骨の多くは、土坑墓(どこうぼ)と呼ばれる素掘りの穴の中に、手足を胸や腹に強く引き寄せた姿勢で埋葬されている。その形態は一様ではなく、仰向けに寝かせた「仰臥(ぎょうが)屈葬」、横向きに寝かせた「側臥(そくが)屈葬」、うつ伏せの「俯臥(ふが)屈葬」、さらには座った状態の「坐位(ざい)屈葬」など多様な姿勢が確認されている。

遺体は関節を外したり、蔓(つる)のようなもので縛ったりしなければ不可能なほど極端に強く折り曲げられている事例が多く、単に遺体を穴に投げ入れたのではなく、意図的に特定の姿勢を作って埋葬していたことが発掘調査から明らかになっている。また、死者の胸部に重い石を抱かせたり、頭の上に乗せたりする抱石葬(だきいしそう)を伴うこともあり、当時の埋葬行為には極めて強い意図が介在していたことが窺える。

なぜ手足を曲げたのか――思想的背景の諸説

縄文人がなぜ屈葬を行ったのかについては、古くから複数の仮説が唱えられてきた。その中で最も有力視されているのが死霊畏怖説(しりょういふせつ)である。当時の人々は、肉体から抜け出した死者の霊魂が、生者の世界をさまよい歩いて災厄をもたらすことを極度に恐れていたと考えられる。そのため、死者の手足を縛り上げ、重い石を乗せるなどして物理的に動きを封じ込めることで、死霊の復活や徘徊を防ごうとしたのである。

一方で、これとは全く異なる再生説も存在する。手足を胸に抱え込む姿勢は、母親の胎内にいる胎児の姿勢と酷似している。つまり、母なる大地を子宮に見立て、死者を胎児の姿に戻して埋葬することで、再びこの世に生まれ変わってくることを願ったという解釈である。他にも、単に睡眠時の休息の姿勢を模したとする説や、墓穴を掘る労力を軽減するため小さく葬ったとする労働力節約説などがあるが、遺体を縛った痕跡や抱石葬などの存在を考慮すると、何らかの宗教的・呪術的背景があったことは疑いない。

縄文人の精神文化と死生観

屈葬は、縄文時代特有の精神文化であるアニミズム(精霊崇拝)と深く結びついている。自然界のあらゆる事象に霊的な力を見出していた縄文人にとって、「死」は単なる生命活動の停止ではなく、未知で恐るべき霊的現象であった。

縄文時代の遺跡からは、屈葬の他にも様々な呪術的風習の痕跡が発見されている。成人の通過儀礼や服喪の印とされる抜歯(ばっし)、女性をかたどり豊穣や安産を祈りつつ意図的に破壊された土偶、そして男性の生殖器を模した石棒などである。これらはすべて、生命の誕生を祈り、死や厄災を退けようとする縄文人の切実な精神世界を表している。屈葬もまた、そうした呪術的防衛手段の一つであり、当時の豊かな精神生活を象徴する重要な要素である。

伸葬への移行と社会構造の転換

縄文時代を通じて行われていた屈葬は、弥生時代に入ると次第に姿を消し、手足を真っ直ぐに伸ばして葬る伸葬(しんそう)へと移行していく。この埋葬法の変化は、単なる風習の違いにとどまらず、日本列島における社会構造と思想の劇的な転換を意味している。

大陸から水稲農耕が伝来し、弥生時代に農耕社会が成立すると、人々の死生観は「死霊への畏怖」から「祖先崇拝」へと大きく変化した。先祖の霊は田畑を守り、子孫に豊穣をもたらす守護神と見なされるようになったのである。死者を恐れて封じ込める必要がなくなり、むしろ安らかに眠ってもらうために伸葬が採用された。さらに、農耕に伴って富の蓄積と身分差が生じると、権力者をより威厳ある姿勢で巨大な墓(方形周溝墓や甕棺墓など)に葬るようになり、やがてそれは古墳時代の巨大前方後円墳の築造へと繋がっていく。屈葬から伸葬への変化は、日本が狩猟・採集を基盤とする社会から、農耕と階級を基盤とする社会へと歩みを進めた決定的な証左であると言える。

縄文時代の考古学 (シンポジウム日本の考古学 2)

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日本列島人類史の起源: 「旧石器の狩人」たちの挑戦と葛藤

険しい環境を切り拓き、海を越えて日本列島へ進出した旧石器時代の人類の足跡と、適応のプロセスを追う壮大な文明論。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 薬師寺の東院堂に安置されており、直立した姿勢とふくよかな表情が特徴の白鳳文化を代表する仏像は何か?
Q. 律令制において、調や雑徭などの一部の税のみを負担した17歳から20歳までの青年男子の区分を何というか?
Q. 冠位十二階の基準となった儒教の徳目で、「大・小」に分かれて最下位(上から11・12番目)に位置づけられたものは何か?
A.